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Channel: 営業せきやんの憂鬱ブログ
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事故です

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     何故か、結果は 強制的にこちらで表示されてます
     http://politics.blogmura.com/politicalissue/index.html        7位でしょうか
 
 
今日の誕生日の花は・・・ヒオウギ
花言葉は・・・・・・ 誠意
 
 
アヤメ科 

  年やってくる終戦記念日を、人それぞれの感慨で迎えることでしょう。
そんな特別な日であることにおかまいなく、うだるような残暑の中を黙々と働く蟻たちを見つけました 

 ヒオウギよ花のつぼみの下陰を
無音の蟻の列が続けり  鳥海昭子
 
 
 
列島は御霊がウジャウジャと
年に一度の里帰り
首都では戦没310万の供養式
 
大東亜戦争=太平洋戦争後
68回目の「終戦記念日=敗戦記念日」、
 
その日に・・・・
 
14日、辺野古沖、工事区域ブイを強行!
これってぇなんかおかしいなぁ
何故か
土木業者は普通お盆は休むー
 
やはりっ!
この国は原子力村が差配してます

320億のプロジェクト失敗

フクシマで、氷の壁がいつまで経っても凍らないー
遂に断念だそうでw 
だからおいら、凍らない、って言ってるじゃないか。
鹿島に320億円渡してオシマイかよw 
鹿島は羽田空港の不正埋め立て、どうなったんだ? 
     国交省の天下り入れてるから不問ですか?

福島第1、凍らない「氷の壁」断念か 別工法も 19日に規制委が検討
 東京電力福島第1原発海側のトレンチ(地下道)に滞留する汚染水を遮断するための「氷の壁」が3カ月以上たっても凍らない問題で、7月末から投入している氷やドライアイスに効果が見られないことから、政府が「氷の壁」の断念を検討し、別の工法を探り始めたことが
13日、分かった。
19日に原子力規制委員会による検討会が開かれ、
凍結方法の継続の可否について決めるという。
 氷の壁が凍結しないことは、規制委の検討会でも有識者から指摘されており、
「コンクリートを流し込んでトレンチを充填すべきだ」との意見があった。

冬になったら凍るんじゃねーの? 
地温というのは四季を通じてあまり変わらないので、
冬になっても凍る見込みがないんだろうw 
つうか、うまく行かなかったんだから、
鹿島は320億円、受け取らないよね、まさかw
 
 
 
 
 
 
終戦の詔勅 (玉音放送) ~完全版~
  
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昭和20年8月15日、朝日新聞東京本社版ー。
これには、「戦争の終結の・・・・。」と、ある。
 この日の正午に当時のNHKラジオ放送によって
「玉音放送」として戦争終結を天皇自ら訴えた。
 これを体験した殆どの日本人は
「何をどんな風に言われたか、よく判らなかった。」
                         と、言う。
その体験者は、もう殆ど彼岸の彼方である。
 
     一方、朝日新聞大阪本社版
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 東京本社版と大阪本社版の記事の表現・ニュアンスが違う。
  「戦争終結の大詔・・・」  と  「帝国再建に未曾有の聖断・・・」
 当然のことだが、「詔書」の中身は、全く同一である。
 
『朕深ク世界ノ大勢ト帝国の現状トニ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 朕ハ茲二国体ヲ護持シ得テ璽臣民ノ赤誠二信埼シ常二璽臣民ト共二在リ若シ夫レ情ノ激スルと所・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・。』
 
この『詔書』がラジオ放送の玉音となり、
9月2日の東京湾のミズーリ号上において、
当時の重光外務大臣の降伏文書調印により、
    国際的に戦勝国と敗戦国
 が決定したのである。
 
∴戦勝国は9月2日を第二次世界大戦終了の記念日
                      としているー。
 
 

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「第88回帝国議会・貴族院議事速記録・号外・昭和20年9月4日
(火曜日)開院式の「勅語」。
 
この議事録は、今から丁度69年前の昭和20年8月15日
「ポツダム宣言・受諾の玉音放送」が出され、
日本国の敗戦が決定し、その降伏調印の2日後の「勅語」ー。
 
当時の天皇の御言葉が、活字になると、
昭和一桁でも、すらすら読める代物ではない。
しかし、大意は、おおよそ理解ができるー
 
『勅語』・・・ちょくご=天皇のことばがこの議事録では、
16行の短いもので述べられている。
 
大意
わしは、帝国議会を開催し貴族出の議員と一般市民選出の議員に言いたい。
 
先に(9月2日ミズーリ号調印式)に戦争終結(中止と言っている。)の意思を
使臣を派遣し文書に印を押させた。
 
わしは、終戦に伴いいろいろ苦労したが国体の精華(???、多分、皇祖々々の国の栄光と力)を発揮して「世界に平和国家を打ちたて人類の文化に寄与するため信義をもって訴え日夜努力した。?。
 
このおおわざ(大業)を達成するには冷静沈着・隠忍自重、世界に対しては、「約束=盟約」を守り・親交を重ね、国内においては挙国一致、各々の領域で力をつくし国家建設につとめよ。
 
軍人遺族の扶助、傷病者の保護、軍籍を離れたものの厚生、戦災を受けた者への救済においては、万全を尽くせ。
わしは国務大臣に命ずる。
国家内外の情勢、非常措置の経緯を説明するには、
わしの(朕=ちん)気持ちを自身のものとして政府と協力し一億国民がますます奉公の心を尽くされることとせよ
 
 
 
 
 
◯「アーミテージ元米国務副長官、
 プーチン氏訪日「賢明な決定を」 」

2014年8月11日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM06H1U_R10C14A8FF8000/?n_cid=TPRN0005

 知日派として知られるアーミテージ元米国務副長官は日本経済新聞とのインタビューで、
ウクライナ情勢がこのまま悪化を続けるなら、今秋と 見込まれているロシアのプーチン大統領の日本訪問について
安倍晋三政権に「賢明な決定」を期待すると表明した。訪日を巡り日本側に慎重な判断 を促す発言だ。

 ウクライナ情勢に絡み欧米とロシアの制裁の応酬が激しくなる一方で、ロシアは農産物の輸入を禁止するリストから日本を外した。
ロシア側に は日本との関係を維持し、主要7カ国(G7)を分断する思惑も浮かぶ。

 アーミテージ氏は安倍首相の対ロ外交に関して「ロシアのエネルギーを巡りプーチン氏との間で上手な外交を展開しているのは理解している。 日本のエネルギーの安定は米国にも恩恵をもたらす」と語った。

 そのうえで「首相はウクライナ情勢を巡る国際的な合意から外れないようロシアに慎重な立場で接している。日本はまだプーチン氏の訪日を決めていない」と述べ、欧米の追加制裁の効果を見極める必要があるとの認識を示した。

 プーチン氏にはウクライナ情勢の安定への取り組みを促すとともに「プーチン氏がウクライナ情勢の悪化を放置するなら、日本に賢明な決定を望みたい」と訴えた。

 プーチン氏の訪日が延期になった場合に北方領土問題が行き詰まるとの懸念に対しては「1945年から行き詰まったままだ。プーチン氏が訪日しても妥協したいかどうかは分からない」と主張した。

 他国の首脳と比べ安倍首相とプーチン氏の相性が合うとの見方について尋ねると
「首相から聞いたことはない。日米関係は、ほかのいかなる関係より良好で、重要だ」
と力説した。

 安倍政権の安全保障法制の見直しに関して米側が国連決議に基づく多国籍軍など集団安全保障への参加を期待しているとの観測に対しては「その期待はない」と否定的な考えを示した。

 そのうえで「例えば海で米艦船や航空機が攻撃を受けた時に日本が助けに来ることができるなら、それは 期待したい」と語った。

  
アイゼンハワー大統領(欧州戦線450万人の連合軍全軍の最高司令官、陸軍参謀総長、NATO軍最高司令官、元帥)が、退任演説で
「軍産協同体の危険性」
を警告していた通り、米国は、国防総省(ペンタゴン)と軍需産業(ロッキード・マーチン社、ボーイング社をはじめ6000社)の癒着体制により、
「戦争なくしては生きていけない国」
に成り果てている。

 「最終兵器」と言われた「核兵器」よりも恐ろしい
「ハープ」
「プラズマ兵器」
などという「究極の兵器」が開発され、すでに実用段階に入っている。
加えて、
「無人兵器」
である。
 
「血に飢えた米国」は、戦争なくしては生き延びられない、
すなわち、戦争から逃れられない悲しい宿命にある。

「日本は大東亜戦争=太平洋戦争の総括を戦後68年経ても未だにしていない」と嘆く有識者がいるけれど、そんなことはない。
「世界戦争概説―戦争の歴史―」(泉茂著、甲陽書房刊 昭和39年)などを紐解けば、きちんと総括している。

 「皇軍必勝の夢は破れ、
国民の多くは暫く虚脱の状態に陥る程の未曽有の敗戦であった。
またこの戦争については幾多の批判があり、多くの反省すべき点があることも勿論である。
けれどもわが国は種々の不利な条件の下に世界の強国を相手として、四年にわたって南北七千キロメートル・東西一万キロメートルの広大な地域に出でて戦った。
しかも敗れたとは言え、世界の人々をして讃嘆せしめたわが軍隊の勇戦は、現在におけるわが国のめざましい復興発展とともに、特筆に値いするものといわねばならない」

「世界戦争概説―戦争の歴史―」は、人類の戦争を概観しつつ、
戦争はなぜ起きるのか、
戦争の原因を懸命に追求している
けれど、明快な答えを見つけていない。
だが、
近現代の戦争史を大掴みしてみると、
本質は
「エネルギー資源争奪戦争」であったことに気づかされる。
 
日本は、徳川時代の265年間、
「鎖国状態」ということもあり、
「産業革命」にも100年遅れていたため、「資源争奪戦争」に巻き込まれないで済んだ。
 
明治維新を経て、「文明開化」に直面し、以後「石炭、石油、ウラン」といったエネルギー資源を確保しなければ、文明国に仲間入りすることはできなかった。
 
この「資源争奪戦争」に巻き込まれないためには、元の「鎖国状態」に戻るしかないけれど、
それが無理であるならば、これからは国連を中心とした世界政府による「地球内のあらゆる資源」の管理体制を築き、各国に分配する仕組みを確立していくしかない。
 
もちろん、資源のなかには、「水や食糧」なども含まれるのは当然である。

世界支配層主要ファミリーは、
この大事業にすでに取りかかっており、
天皇の下で安倍晋三に「3年がかり」で準備させ、
しかる後に小沢一郎代表を総理に据えて、
本格的に大仕事を行わせる計画ー。
国際金融は、
三菱東京UFJが、
すべてを仕切ることになっているという。
 
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 さらに、安倍政権が戦争をはじめることを、
アメリカは本気で警戒している
 
 

西日本新聞社

講演するマレーシアのマハティール元首相日本をモデルに経済発展を目指す「ルックイースト(東方)政策」で知られるマレーシアのマハティール元首相が6日、福岡市・天神で講演し
「日本は米国に追随しすぎ、かつての輝きを失った。
だが、素晴らしい教育レベルや技術、哲学、文化がある。
再びナンバーワンになれる可能性はある」と語った。
 福岡に基盤を持つ若手経営者や文化人でつくる「博多21の会」(二宮紀朗会長)の30周年記念講演会。マ
ハティール氏は「立ち上がれ日本人~日本に学んだこと~」のテーマで語った。
 同氏は戦後日本の経済復興について「規律正しい国民性とともに『日本株式会社』とも呼ばれ、
官民の協力した経済振興があった。
それをコピーしたことで、マレーシアも世界の中で礎を築けた」と説明。
「日本の経済成長を警戒した米国による働き掛けで官民の協力関係は弱くなったが、
米国にも同じような官民の協力関係はある」
と分析した上で「外国からの助言は、その国の利益を優先したものがある。日本人は誇りを持って、未来へ向けた新たなアプローチをしてほしい」とエールを送った。
 
 東京新聞

終戦1年3カ月前「対中終結を」 重光外相、ソ連仲介構想 新史料で判明

第2次世界大戦中に外務大臣とモスクワ大使館間で交わされた外交秘密電報の冊子。この中に新発見公電が多数含まれている。それぞれの表紙の左側には、赤字で「非常焼却」と書かれている
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 第二次世界大戦中の一九四四(昭和十九)年五月、東条英機内閣の重光葵(しげみつまもる)外相が、日本と中立条約を結んでいた旧ソ連の仲介による中国との戦争終結を目指していたことが、東京新聞が入手した当時の外交秘密の公電で明らかになった。重光は早期終戦論者の一人とされてきたが、終戦の一年三カ月も前の動きが公的文書により裏付けられたのは初めて。
入手した公電二百五通のうち百二十二通は新たに見つかった史料。同時期の公電は焼かれるなどして現存しないとされてきたが、当時モスクワの日本大使館などで勤務し、戦後に駐米大使を務めた故武内龍次氏がまとめて保管していた。
 
 公電は四三年十一月から四五年七月までに外務省とモスクワの日本大使館の間で交わされた。重光は四四年五月二十五日、佐藤尚武大使宛てに「帝国の対ソ対支方策に関する件」と題し、ソ連と中国の対策を記した。公電の扱いは三段階で最も秘密保持が求められる「外機密」に指定されている。
 
 重光は当時の日ソ関係を「衝突無きを得る素地を得たる」と説明。日ソ中立条約を生かし、ソ連の協力を得て日中戦争を終わらせようとした。佐藤には「終結に導くの方策」が可能かを尋ねた。
 
 当時の中国は、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が対立していたが、重光はソ連の影響力で中国内を一つにまとめてもらった上で、日ソに中国を加えた不戦の枠組みをつくれないか考えていたのだ。
1944年5月25日、重光葵外相が中国との戦争の終結構想を記した公電の記述
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 だが、佐藤はソ連が米英両国と連合国として連携していた情勢から、ソ連仲介の実現性は「疑問」と返電。戦況悪化を受けて四四年七月に東条が退陣し、小磯国昭内閣が発足した直後の八月に決定された戦争指導大綱には、ソ連仲介の日中戦争終結策が初めて正式に盛り込まれたが、その後の公電からはソ連との外交交渉が行き詰まり、四五年八月の降伏へ日本が追い込まれていく様子が分かる。
 
 戦時中の外交文書を公開する国立公文書館アジア歴史資料センター長で、筑波大の波多野澄雄名誉教授は「この重光の公電は初めて見た。戦時中の公電が見つかっていたのは六〇年代まで。それから半世紀後の今、大量の公電が出てきて驚いている。戦時外交を知る重要な史料だ」と話した。
 
 武内氏は戦時中にモスクワの日本大使館で一等書記官を務め、戦後は外務次官などを歴任。公電は自宅に保管していた。
 
 武内氏が九九年に死去した後は都内に住む親族が持っていた。
 
<重光葵(しげみつ・まもる)> 1887年生まれ。駐ソ、駐英、駐華大使を経て東条内閣と小磯内閣で外相。終戦直後の東久邇宮内閣でも外相を務めた。極東国際軍事裁判でA級戦犯として禁錮7年の有罪判決を受けた。鳩山一郎内閣では副総理兼外相として、ソ連との国交回復と国連加盟を実現。1957年に69歳で死去。
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<解説>
 新たに見つかった戦時中の外務省とモスクワの日本大使館との間で交わされた膨大な枚数の外交秘密公電は、日本が自ら始めた戦争から抜け出すことができず、国内外に多くの犠牲者を出した悲劇の歴史を解き明かす重要な史料になる。
 
 戦時中の外交秘密文書は、一九四五年五月の東京への空襲で外務省庁舎が火災に遭った際、多くが焼失。さらに、広島に原爆が投下された翌日の八月七日には、外務省記録文書処理方針が決裁され、重要書類は焼却された。連合国による戦争責任追及の証拠を消すためだった。公電の表紙には処分対象だったことを裏付ける「非常焼却」の文字が残っており、本来なら焼かれる運命にあった。
 
 公電は、元外交官の故武内龍次氏が保管していたことから、戦後六十九年にして奇跡的に世に出た。だが、個人が持っていなければ残っていなかったという事実は見過ごせない。
 外交文書は後世の評価に委ねるため、保存して公開するのが大前提。検証できなければ、どんな交渉や政治判断をしたのかが歴史の闇に埋もれてしまう。過ちを犯したなら、なおさら教訓を得るためにも詳しい経緯を知る必要がある。
 
 新たな公電は、時の権力が将来世代にまで責任を負っていることを自覚すべきであるとともに、今を生きる人たちが歴史に学ぶことの大切さを教えている。 (関口克己)
 

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