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永田町の西郷星

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 チしてくださーーーーーーーいぃ
 
 
今日の誕生日の花は・・・  ぺラルゴ二ウム 
花言葉は・・・・・・・・決心 篤い信仰
 
フウロソウ科

                 
             大病を患って入院しているときに、病気の回復を
             一心に祈ってくれる友がいました。       
              z             窓辺のペラルニコムを見ていると、
                          彼女を思い出すのです。
                
 訳もなくさみしいのです祈り篤き
  友の窓辺のぺラルゴ二ウム  
  鳥海昭子 
                
  
 
【万葉歌】春さればををりにををりうぐひすの鳴く我が山斎(しま)そやまず通はむ
                                  (巻6ー1012)
 
昨日、異常にくちびるカサカサしませんでしたァ
あの砂漠国サウジより乾燥したそうです
観測記録で一番乾いたといいます
 
この夏、チリ沖にエルニニーニィョ現象で冷たい太平洋海水発生して
日本は5年ぶりの、冷夏といいますー
 
これを紐解きますとー
今月今夜の月・・
まぁ金色夜叉のセリフをつぶやき
夜空の不思議に思いやるわけです
さて・・・
 
 
今夜の月と火星を見ましたか?
     リンクの方から以下教えいただきました
イメージ 1
  手持ち撮でぶれていますが、拡大して戴ければ左側に火星が見えます。
 火星には怪しく光る場所が撮影されていますが、火星人が火星探査機に光で存在を示していたら楽しいですね
     西郷星ですっ!ウゥーン?
当時の新聞にそう書いてあります
14日今日この頃、深夜に驚くほど赤い星が明るく輝いています。
ちょっと窓の外をのぞいてみましょう。
          
4月9日(水)、火星は2年2か月ぶりの衝(太陽の反対位置、一晩中見られる位置)を、
おとめ座にて迎えました。
おとめ座はしし座やおおぐま座と並んで春を代表する星座です。
そして、今晩(2014年4月14日(月))、
    火星は地球に最接近!
 
 地球との距離は9,239万キロメートル程度(0.6176天文単位)と今回の接近は準小接近とも呼べるレベルです。
天体の運行の道筋は「軌道」と呼ばれます。
火星は太陽のまわりを1.88年(1年と10か月)で一回公転、
一方の地球は1年で一回公転なので、軌道上を進む速さが異なります。
スピードスケートに例えると、インコースのほうが有利という感じでしょうか。
これは万有引力の法則、すなわち太陽からの重力の作用によって、
太陽に近いほど速く公転しないと太陽に落っこちてしまうからにほかなりません。
このため、毎年火星を楽しめる訳ではなく、2年2か月(780日)毎に太陽と地球と火星のお互いの位置関係が同じになります。
4月9日は太陽-地球―火星の順でほぼ一直線の位置関係です。
この状態を「衝」と呼びますが。衝の前後がもっとも火星が地球に近づき、かつ一晩中観察できる時期となります。ちなみに、火星がもっとも地球に近づくとき、これを「火星大接近」といいますが、最も近づく接近ではおよそ5500万kmにも近づきます。一方、もっとも遠い接近「小接近」では1億kmを超えますので、2倍近くも接近の距離が異なってしまいます。今回はどちらかというと小接近レベルの接近のため、世間ではあまり騒がれていませんが、現在の火星はマイナス1.5等級と一等星の10倍も明るいので、深夜にとても目立つ存在となっているのです。
これほどにも接近の距離が違うのは、主に、火星の軌道が楕円であることが理由です。地球も僅かに楕円ですが、火星は離心率が大きな楕円のため、大接近の時はというと、不気味なくらい明るく、大きく見えるので歴史的にはさまざまな騒動をおこしてきました。明るさでいうとマイナス3等級、一等星の40倍もの明るさになります。
2003年の8月末には5576万kmまで火星が大接近。
国立天文台の定例観望会に2500人もの人が訪れ、大パニックとなりました。
 
1877年9月には5630万kmまで接近。
この年の西南戦争で9月24日に自決した西郷隆盛が火星になった説が流布され、
大接近した火星は西郷星と呼ばれました。
西郷星=火星の大接近があり、最接近時の9月3日には距離5,630万km、光度-2.5等あまりにまで輝いていた。
当時の庶民はこれが火星である事は知らず、
「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、
陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」
という噂が流れ、西郷星と呼ばれて大騒ぎになった。
やがてこれに便乗し、西郷星を描いた錦絵が何種類も売り出されて人気を博した、
エドワード・モースの当時の日記にも記されている。
また、この時に火星の近くに位置していた土星も、
桐野利秋に因んで桐野星(きりのぼし)と呼ばれた。
 
火星に魅せられた人の代表といえば、米国人のパーシバル・ローエル(1855-1916)でしょう。
資産家として生まれ、日本や韓国にも滞在していた東洋の研究家が火星に魅せられた理由は、火星接近の際に詳細にスケッチした火星表面に「運河」が見られたという誤解から始まりました。
イタリアの高名な天文学者スキャパレリの火星スケッチには直線状の構造が複数描かれ、
この構造をスキャパレリはイタリア語で水路を意味するcanaleと表現していました。         この言葉が運河canalと英語に誤訳されて伝えられ、ローエルは火星に運河を建設するぐらいの高等な生物が住んでいると信じ込んでしまいました。                             ローエルは私財を投げ込んで、アリゾナ州フラグスタッフに私設の天文台を建設し火星の観測に没頭します。ローエルが多数スケッチを残したように運河や直線上の水路が火星表面には無いことは現在明らかになっていますが、当時、多大な影響を世の中に与えたのは間違いありません。なお後年、このローエル天文台にて冥王星が発見されています。
ローエルの時代、すなわち今から100年間には、火星には火星人が住んでいると信じる人が多かったことは驚くべき事実とも言えましょう。
ローエルの火星運河説に影響を受けた英国のSF作家H.G.ウェルズは、1898年に「宇宙戦争」(原題はThe War of the Worlds)を発表します。
地球人より高度な文明をもつお馴染みのタコ型火星人が地球に攻めてくるSF小説ですが、複数回も映画が制作されたようにSFの名作の一つです。
それから40年後、今度は米国にて後の名優オーソン・ウェールズがラジオドラマとして、このThe War of the Worldsを放送します。
1938年10月30日、ハロウィンの前夜に放映されたこのラジオドラマでは、火星人がアメリカに攻めてきたという想定で、「これはドラマです」というたびたびの注釈にも関わらず、大パニックを引き起こします。
NHKラジオセンターの皆さんの聞いた話によると、今でもアナウンサーの初任者研修においてこの話は、ラジオでの情報提供の教訓として語られているそうです。
1960年代の人工衛星・宇宙探査機時代に入ると、次々と探査機が火星を目指します。これらの火星探査衛星からの映像や情報によって、火星は知的生命体が存在可能なような環境ではないことが明らかになり、火星には火星人はおろか、目視可能な生命体は存在しないことを私たちは理解しています。しかし、1996年にはNASAの研究者が、かつて火星から地球に飛来した隕石の分析から微小サイズの化石が発見されたと発表するなど、火星に生命が存在しているのかいないのか、または、かつて存在していたのかいないのかという論争は未だに明確な答えを得てはいません。火星隕石の生命痕跡については10年以上の学界でのい論争ののち、いまではほぼ否定されていますが、火星に生命活動を夢見る人びとは後を絶たないのです。
火星にはすでにたくさんの探査機が来訪していますが、その最大の目的は生命の痕跡探しといってよいでしょう。火星探査機キュリオシティ (Curiosity)は、米国NASAの火星探査機ローバーで、2011年11月26日打ち上げられ、2012年8月6日に火星ゲール・クレーターに軟着陸しました。火星表面を6km以上も走破し、現在も探査を継続中です。
NASAキュリオシティ http://mars.jpl.nasa.gov/msl/
キュリオシティには17個ものカメラが搭載されていますが、さらに火星表面の土と岩石をすくい取り内部を解析することも出来ます。これまでのローバーよりも広い範囲を移動し、過去と現在の火星における生命を保持できる可能性について調査しています。
火星での生命探しの謎解きはまだまだ続きます、、、、。
火星観察の楽しみ方について、詳しくは、国立天文台「星空情報」をご覧ください。
 
西郷隆盛のお話が出ると
小沢一郎生活の党代表が被ります
             
国民の立場の政治姿勢変わらぬゆえ大バッシング 
バッシングの急先鋒も、いまではお役ゴメンっ!
  
     小沢攻撃ネットワークは
     そのまま不思議と
   安倍普三応援団に衣替え
 
政治力ずば抜けてるゆえ、
同志からさえ怖がられました 
 
日本人には『滅びの美』という文化が有るー。
 
それまでの闘いの中身の一切を消し去って、
「潔い負け戦」を闘ってみせる事に、皆の共感を浴びる事となる。

しかし、負けは負け。
亡びて、その先には何も無い。
その屍は、哀れを誘うかもしれないが、亡びた本人はさぞかた悔しかったで有ろう。

闘いは、勝たねば意味が無い。
幾ら「美しく」負けようと、死の後は無である。
 
そして、世の中には「大将の大往生」を望んでいる部下も居ると言う事を、忘れてはならない。


 
 
生活の党。
今や絶滅危惧種の集う処。

大将は、高山の如く巨きく、
大平原の如くに伸びやかである。

人々に誤解され、悪人の代名詞の如くに思い込まれ、
排斥され罵倒され続けて、
尚かつ他人を傷つけない。

揺るぎなき信念と、先を見据える眼力とで、
日本の国体の根底を作り替えるべく、奮闘努力して来た。

そして、その倒すべき対象とされた官僚達と、
その周辺に巣食う既得権益者達とが、
総力を挙げて打倒に立ち上がり、
結果としてー
小沢一郎は敗れ去った。

さしもの「剛腕」も、手足となる陣笠が居て、
それを動かす資金が有って、初めて実力を発揮できるのだ。
 
矢折れ、弾尽き、兵は無く、依って立つ大城が無い状態では、
再起は極めて困難である。
 
今や、立ち往生寸前の弁慶と成り果てかかっている、
                      小沢一郎が居る。


 
何故、こんな事になってしまったのか。
 
ひとえに、取り巻きのせいである。
かって手塩にかけて育てた参謀達は、霞ヶ関とマスコミ連合軍に寝返り、手のひらを返すかの様に、裏切って行った。
 
小沢の求める、本当の仕事をする重要性を最後迄理解出来ずに、その場その場の状況に負けて、飼い主の手を噛み自己保身に務めて「敵」の思うつぼにハマって行った。
 
敵の仕掛けた奸計にハマり、大将を救う努力をする事無く、
大将の足を引っ張り、寝首を掻こうとして行った。


本当に小沢の思想を理解していた仲間達は、
民主党を離れた後の不利な闘いで、
政治の表舞台から去ってしまった人達であった。

彼らは、大将より一足早く討ち死にしてしまった。
 
最早、残っているのは殆どが旧態依然の「日本的政治」で生きて来た、
政治屋まがいの者達である。
 
そして、その連中は今、大将の元に集い足元を固め、
捲土重来を期す為にあらゆる手だてを打って努力している、
                           とは到底思えない。
ただーーー
今の安倍強権政治を許しておけば、日本は早々に民主主義を捨て去った
軍国主義に落ち入って行く事は、疑いの無い所である。
しからばーーー
、生活の党は、小沢一郎は、そして支持者を中心とした国民は、
何をやらなければならないのか。

<自民・公明・民主・維新・結い・みん+共産>
という巨大与党
に対抗出来る、真っ当な受け皿を作らなければならない、
                             と言う事だ。
それを国民は待ち望んで居り、小沢御大も百も承知である。

「維新+結い」の統一会派を作りかかっている
が、それが無ければ民主党は野党第一党である。

小沢改革を積極的に潰した元凶である、
<岡田・前原・野田・枝野・玄葉・安住・菅直人>
など国民の敵も未だに居るが、
リベラルな思想を持った議員も居るー。

この「リベラル民主」が核となって、その他の各党のリベラルも集められれば、
再度の政界再編も夢と切り捨てるほど不可能でもあるまい。
その動きが起こせるのは、「腐っても小沢」なのだ。
 
しかし、ここ迄小沢のイメージを傷つけられてしまった以上、
他党の議員達が「小沢の下(もと)」に集結する、
という訳には行かないだろう。
 
そこで不可欠なのが、「小沢イスム」を理解して体現出来る
郎党達の存在である。
永田町の西郷星がよみがえり輝けるかー
宇宙の不思議
大接近の夜空を見据えるー
 
 

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