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悪魔組織の犯罪02
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/556.html
テンプル騎士団とフリーメーソンの繋がりは、フリーメーソン側も公認の事実である。フランスでのテンプル騎士団裁判中、ピエ-ル・ドモンと7人の騎士はメ-ソン職人の手引きでスコットランドに逃亡し、マル島に上陸したといわれる。
1307年の聖ヨハネの日(6月24日)に、彼らは最初の憲章を発表した。その後、スコットランド王ロバ-ト・ブル-ス[Robert de Brus, 1274-1329]に保護された彼らは、7年後の1314年(ジャック・ド・モレ-が火あぶりにされた年-筆者注)の夏至・聖ヨハネの日(6月24日)に、スコットランド軍に加わって、騎士団を弾圧したイングランド王エドワ-ド2世とバノックバ-ンで戦った[Battle of Bannockburn]。
エドワ-ドは強力な騎兵をふくむ、2万にのぼる大軍をみずからひきいてスコットランドに侵入した。あと一日でスタ-リング城(イングランドの保持するスコットランド内の最後の重要な砦-筆者注)に達するという6月24日早朝、スタ-リング南部のバノックバ-ン(フォ-ス川の支流)に駒をとめていたイングランド軍は、兵力が3分の1に満たないロバ-ト軍に急襲された。沼地にはばまれたイングランド軍は戦闘がままならず、フォ-ス川で溺死した者は数知れなかった。捕虜になったイングランド貴族の数も多く、その身代金支払いのせいで「スコットランドは一日にして裕福となった」と、巷間うわさされたのである(『イギリス史1』山川出版)
バノックバ-ンでの決定的な勝利の後、1314年6月24日に、ロバ-ト1世(ロバ-ト・ブル-ス)は聖アンデレ・あざみ勲位[Order of the Thistle]を制定した。この聖アンデレ・あざみ勲位の象徴は、ヘレダム(ヒアダム)儀式とテンプル騎士団に関係している。
聖アンデレ[Saint Andrew]の祝日の11月30日は、スコットランドのグランド・ロッジの聖餐式の日であり、聖アンデレ・あざみ騎士は、フランスのメトロポリタン・チャ-タ-(スコテッシュ・ライト・メ-ソン)の位階である。また、グランド・スコテッシュ・聖アンデレ騎士はテンプル位階である。テンプル騎士団とフリーメーソンの密接な繋がりが御理解頂けたと思う。
ところで、オカルトの歴史にとって何より重要な世界史的転回点はルネサンスであると言われている。そのルネサンスと十字軍とは密接な関係がある。
十字軍の結果、北イタリアの諸都市は東方貿易で栄えた。東方貿易によって、ギリシア・ロ-マの古典文化を保持していたイスラムとビザンチンから、古典古代の学問が流入した。1453年にビザンチン帝国がオスマン=トルコに攻撃されて滅亡すると、ビザンチンの学者がイタリアに亡命してきたので、古典研究が盛んになった。この古典の文献研究がルネサンスの口火を切ったのだ。
ルネサンスはフィレンツェで最も早くしかもはなやかに展開した。ルネサンスの巨人で『神曲』の作者、ダンテはオカルトの秘密結社員で錬金術や占星術に長ずるカバラ主義者であったことがよく知られている。彼が入団していたのは、テンプル騎士団系のフエデ・サンタである。
イタリア・ルネサンスのオカルト哲学者、マルシリオ・フィチ-ノ[Marsilio Ficino, 1433-99]はフィレンツェのコジモ・デ・メディチ一族の中で育った。
フィチ-ノはヘルメス文書のギリシア語写本をラテン語に翻訳した。
ヘルメス文書の著者とされるヘルメス・トリスメギストス[Hermes Trismegistus]は、エジプトの神トトとギリシアの神ヘルメスを融合した神話的人物で、その名は「3重に偉大なるヘルメス」を意味する。
これはフェニキア文字の刻み込まれたエメラルド製の碑板で、アブラハム(あるいはアレクサンダ-大王)の妻サラによって洞窟の墓場の中から発見された。エメラルド碑板はヘルメス・トリスメギストスの死体の指でしっかりと握られていたという。
魔術上の目的で特に重要な箇所は、エメラルド碑板のラテン語版の冒頭の一文である。「上におけるごとく、下もしかり、下のごとく上もしかり、唯一なるもの驚異を達せんがため」これは占星術と錬金術の基礎となる原理で、人類と地上の小宇宙(ミクロコスモス)と、神と天上の大宇宙(マクロコスモス)が照応関係にあることを示している。
フィチ-ノの極めて優秀な弟子、ジョバンニ・ピコ・デラ・ミランドラ[Giovanni Pico della Mirandola, 1463-94]はカバラをグノ-シス主義、ヘルメス主義、新プラトン主義と同化させた。
ピコは、カバラはキリスト教の真理を確定することができる、と信じたのだ。このカバラとはユダヤ神秘主義のことである。
1492年にスペインからユダヤ教徒が追放されると、彼らの多くはイタリアに行き、そこでヘブライ語に対する新しい関心と、ユダヤ教の神秘主義的伝統すなわちカバラに対する熱意とを広めた。ピコの教師がスペインのユダヤ教徒であったことは疑いない。その中で主だったのは、ピコにカバラ的な写本を提供したフラヴィウス・ミトリダ-テス[Flavius Mithridates]という謎の人物だった。
さて、ルネサンスとカバラ魔術の関係が分かると、ルネサンスに対する我々の評価も自ずから変わって来ざるを得ない。
古典文化の復興、人文主義(ヒュ-マニズム)、美術の開花、真理や美の追求、キリスト教と封建制度にしばられた中世世界からの脱却。一般的には、ルネサンスは無条件で称賛されている。ルネサンスを批判すると、野蛮人のように思われてしまうのが落ちだ。しかし筆者に言わせると、ルネサンスの本質、それはずばり「魔術の復活」なのである。魔術結社はルネサンスを隠れ蓑にして、悪魔的陰謀を企んだのだ。
ルネサンスの表看板は自由の賛美である。自由の何処が悪い、人はこう反論するに違いない。言論の自由、表現の自由、報道の自由、好きなことを空想する自由、好きなことをする自由(法律に触れない限り、あるいは法律に違反しても捕まらない限りにおいて)、自由はすばらしい。それはその通りだ。権力者に個人の自由を縛られるのは、誰でも御免被りたいはずだ。ヒトラ-、ムッソリ-ニ、スタ-リン。ロ-マ教皇、ラスト・エンペラ-、天皇ヒロヒト。専制主義の悪玉には事欠かない。しかし本質的には彼らの存在は危険な物ではないのだ。その暴力性があまりにもあからさまで、我々はそれに対して身構えることができるからだ。
しかし、自由、平等、友愛を隠れ蓑にしたファシスト的な階級組織であるフリーメーソンに対しては、我々は完全に無防備だ。自由幻想に酔い、影で邪悪な陰謀が進行していることに気付かない。一例をあげると、選挙がある。ファシズム体制下では自由な投票はありえない。デモクラシ-社会では自由で公正な選挙が保証されている。すばらしい。だが実は、大衆は選挙が公正に行われていると錯覚しているに過ぎないのだ。得票数などは、裏で完璧に操作されていることに気付かない。一抹の疑いを抱くことすらしないのだ。
疑いを知らぬ大衆の心理操作、これこそリアル・ポリティックス、真実の政治力学なのである。その手段は物理的暴力ではなく、詐欺やペテンである。腕力ではなく頭の勝負なのだ。この時代の悪魔との決戦場は物理的次元にはなく、霊的・精神的な次元にあるのだ。目に見える暴力と目に見えない暴力、どちらがより危険かお分かり頂けたと思う。
ルネサンスの魔術師の話を続けよう。黒魔術師の評判の高い、ハインリクス・コルネリウス・アグリッパ[Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim, 1486-1535]は『オカルト哲学について[De occulta philosophia libri tres]』の著者である。
『オカルト哲学について』はフィチ-ノのヘルメス主義的魔術とピコのカバラ主義的魔術を結びつけた集大成である。アグリッパはまたヨハネス・ロイヒリン[Johannes Reuchlin, 1455-1522]のキリスト教カバラにも影響されている。
アグリッパは宇宙を3つの世界、つまり元素世界、天空世界、叡智世界に分けている。彼は「魂の戦車(乗り物)」として、ランタンから漏れる光のように肉体を離れ、あらゆる時空を理解し、不思議な領域を探索し、天球層と精神的階梯を通って原型あるいは神へとのぼりつめるための、星気体の能力についても言及している。アグリッパは、肉体からの星気体(アストラル体)の分離、すなわちアストラル・トリップについて述べているのである。
このアグリッパに影響されたのが、エリザベス朝イングランドの高名な哲学者、数学者、占星術師、魔術師、スパイであったジョン・ディ-[John Dee, 1527-1608 or 9]である。
アグリッパのように、ディ-は宇宙は自然界、天空界、超天空界に分かれていると考える。
アメリカの歴史修正論者であるマイケル・A・ホフマン二世によると、ジョン・ディ-は近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ-であったという。 公の歴史では、近代フリーメーソンは1717年6月24日、聖ヨハネの祝日に、ロンドンにある4つのロッジが合同して創立されたことになっている。しかしこれはフリーメーソンが歴史の暗闇の中から彷彿とその姿を現し、公然とエリ-ト階級をリクル-トし始めた時期であって、そのずっと以前からフリーメーソンが存在していたことはすでに述べた。
筆者はホフマンの「ジョン・ディ-=近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ-説」を採らない。しかし、ディ-がイギリス史に果たした役割は非常に大きいと考えている。そこでジョン・ディ-について簡単に触れておきたい。
ディ-は1527年にロンドンの近くに生まれた。「妖術師」の悪名の高かったディ-は、1553年、カトリック女王メアリのホロスコ-プを作成して、女王の薄命を予言した。この予言が当局の忌憚に触れて叛逆罪に問われ、ディ-はハンプトン・コ-トに投獄されてしまった。ディ-の予言どおり、メアリ女王は短命だった。
1555年、メアリ女王の跡を継いだエリザベス女王は、早くから、ディ-の占ったホロスコ-プで王位につくべき運勢を保証されていた。
女王になったエリザベスはただちにディ-を牢獄から釈放して、王室数学官に任命し、彼女の載冠式の日取りを占わせた。載冠式はディ-の指定する1559年1月14日めでたく行われた。
ディ-は協力者のエドワ-ド・ケリ-[Edward Kelley, 1555-97]
と共に、降霊術で天使を呼び出したと噂されている。魔術師であり優れた数学者でもあったディ-は、『ユ-クリッド』のヘンリ-・ビリングズリ-の英訳に寄せた序文にこう書いている。「数により、知られうるものすべての探究と理解への道が得られる」
ここには科学と官僚性の基礎となる概念が表明されている。これは西洋哲学における重大なパラダイム・シフトであった。
1583年にジョン・ディ-とエドワ-ド・ケリ-はイギリスを後にして、大陸旅行に出発した。大陸で過ごした歳月の間、ディ-はある種の伝道活動をし、そのことでポ-ランドのクラコウそしてプラハへ行った。プラハにいた時にディ-はラビ・レ-ヴ[Judah Loew ben Bezalel, 1525-1609]と接触した。
ボヘミアのプラハはカバラの一大中心地であり、一人の極めて注目すべき魔術師、ラビ・レ-ヴが16世紀後半のプラハで有名であった。彼はオカルト主義者の皇帝ルドルフ2世[Rudolf II, 1552-1612]と記念すべき会見を行ない、その際皇帝は実際にこのユダヤ人に精神的助言を求めている。ユダヤの伝説では、レ-ヴは異教徒抹殺の人造人間「ゴ-レム[golem]」の創造者であるとされている。
エリザベス女王の密命を帯びたディ-はこのプラハで、ラビ・レ-ヴと重大な契約を結んだのだ。その契約とは、イギリスの発展のために国際ユダヤの隠れた支援を取り付けることであった。そのお蔭で、これまではちっぽけな島国に過ぎなかったイギリスが文字通りの大帝国にのし上ることができたのだ。
契約の見返りは、ユダヤ人のイギリスへの再入国であった。1290年にエドワ-ド1世(バノックバ-ンでスコットランド軍と戦ったエドワ-ド2世の父王)はイギリスからユダヤ人をすべて追放していた。ただし隠れユダヤ(キリスト教への改宗者)は別である。その後ユダヤは、エリザベス1世の治世にこっそりとイギリスに再入国することができた。ユダヤ人が公然とイギリスに帰還したのは、クロムウェルの時代になってからであった。
イギリスへの再入国という見返りを約束されて、ユダヤはディ-に協力して大英帝国の基礎を築いた。そして西洋を支配することになるイギリスの秘密結社の育成をはかったのである。
密命を無事に終えた後、ディ-は女王の腹心サ-・フランシス・ウオルシンガム[Sir Francis Walsingham, 1532-90]に宛てて秘密報告を出している。
William Cecil, 1st Baron Burghley by William Faithorne; Queen Elizabeth I; Sir Francis Walsingham
彼は数学者らしく、名前の代わりに数字でサインをした。「007」と。オカルトによる世界の宗教改革、それがディ-の目指したものであった。魔術師ジョン・ディ-こそ、世界史に大きな影響を与えた大英帝国の企画者、女王陛下の秘密エ-ジェント、「007」であったのだ。
途中参照:
アジア秘儀に由来するシオ二ズム
http://satehate.exblog.jp/12515875/
セシル・ローズとロスチャイルド設立の円卓会議の目的は国つぶし by ジョン・コールマン
http://satehate.exblog.jp/11525438/
勝者が歴史の本を書く:無視された英帝国によるホロコースト by David Rothscum
http://satehate.exblog.jp/15354976/
大英帝国がオカルト秘密結社の前進基地であったことが分かった。そこで今度は、過去から未来に目を転じてみよう。オカルト秘密結社の創始者、ジョン・ディ-はイギリスで生まれた。そして新約聖書のヨハネの黙示録に描かれた獣、聖書に予言された反キリストもイギリスに生まれているのである。
これはあくまで筆者の仮説であるとして聞いて欲しい。その反キリストは「ウィリアム」という名前を持っているはずである。ヨハネの黙示録の獣の数字「666」はいくつかの写本には「616」とある。ウィリアム「William」のWを二つのVに分解し、二つのLをIと読む。これを並べ替えると,「I Am VI I VI」となる。ロ-マ数字「VI I VI」はアラビア数字で「616」のことである。
この「ウィリアム」という名前を持つ超有名人がイギリスにいる。チャ-ルズ皇太子と故ダイアナ妃の長男、未来の英国王ウィリアム王子である。
ウィリアム王子が即位すると、彼はウィリアム5世となる。 「William V」を並べ替えると、「I Am VI VI VI」となり、ここに獣の数字「666」が出現するのである。
チャ-ルズ皇太子とダイアナ妃の変態セックス(セックス・マジック)の賜物、ウィリアム王子は1982年の夏至の日、6月21日に誕生している。夏至とは、一年で一番日が長くなる日である(北半球では)。古代密議宗教では太陽は神として崇拝されていた。
フリーメーソンのシンボルは左目と太陽である。黒魔術師アレイスタ-・クロウリ-が夢見た「ム-ン・チャイルド(月の子供すなわちダイアナの子供)」であるウィリアム王子は、未来のイギリスに太陽王として君臨することになるのだ。
反キリストとしては申し分のない血統であろう。
余談になるが、この太陽王ウィリアムの子分とでも言うべき二人の有名人がいる。ウィリアムの愛称はビル(Bill)である。二人の高名なビル、誰あろう、ビル・クリントン合衆国大統領とビル・ゲイツマイクロソフト社会長のことである。
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/556.html
テンプル騎士団とフリーメーソンの繋がりは、フリーメーソン側も公認の事実である。フランスでのテンプル騎士団裁判中、ピエ-ル・ドモンと7人の騎士はメ-ソン職人の手引きでスコットランドに逃亡し、マル島に上陸したといわれる。
1307年の聖ヨハネの日(6月24日)に、彼らは最初の憲章を発表した。その後、スコットランド王ロバ-ト・ブル-ス[Robert de Brus, 1274-1329]に保護された彼らは、7年後の1314年(ジャック・ド・モレ-が火あぶりにされた年-筆者注)の夏至・聖ヨハネの日(6月24日)に、スコットランド軍に加わって、騎士団を弾圧したイングランド王エドワ-ド2世とバノックバ-ンで戦った[Battle of Bannockburn]。
エドワ-ドは強力な騎兵をふくむ、2万にのぼる大軍をみずからひきいてスコットランドに侵入した。あと一日でスタ-リング城(イングランドの保持するスコットランド内の最後の重要な砦-筆者注)に達するという6月24日早朝、スタ-リング南部のバノックバ-ン(フォ-ス川の支流)に駒をとめていたイングランド軍は、兵力が3分の1に満たないロバ-ト軍に急襲された。沼地にはばまれたイングランド軍は戦闘がままならず、フォ-ス川で溺死した者は数知れなかった。捕虜になったイングランド貴族の数も多く、その身代金支払いのせいで「スコットランドは一日にして裕福となった」と、巷間うわさされたのである(『イギリス史1』山川出版)
バノックバ-ンでの決定的な勝利の後、1314年6月24日に、ロバ-ト1世(ロバ-ト・ブル-ス)は聖アンデレ・あざみ勲位[Order of the Thistle]を制定した。この聖アンデレ・あざみ勲位の象徴は、ヘレダム(ヒアダム)儀式とテンプル騎士団に関係している。
聖アンデレ[Saint Andrew]の祝日の11月30日は、スコットランドのグランド・ロッジの聖餐式の日であり、聖アンデレ・あざみ騎士は、フランスのメトロポリタン・チャ-タ-(スコテッシュ・ライト・メ-ソン)の位階である。また、グランド・スコテッシュ・聖アンデレ騎士はテンプル位階である。テンプル騎士団とフリーメーソンの密接な繋がりが御理解頂けたと思う。
ところで、オカルトの歴史にとって何より重要な世界史的転回点はルネサンスであると言われている。そのルネサンスと十字軍とは密接な関係がある。
十字軍の結果、北イタリアの諸都市は東方貿易で栄えた。東方貿易によって、ギリシア・ロ-マの古典文化を保持していたイスラムとビザンチンから、古典古代の学問が流入した。1453年にビザンチン帝国がオスマン=トルコに攻撃されて滅亡すると、ビザンチンの学者がイタリアに亡命してきたので、古典研究が盛んになった。この古典の文献研究がルネサンスの口火を切ったのだ。
ルネサンスはフィレンツェで最も早くしかもはなやかに展開した。ルネサンスの巨人で『神曲』の作者、ダンテはオカルトの秘密結社員で錬金術や占星術に長ずるカバラ主義者であったことがよく知られている。彼が入団していたのは、テンプル騎士団系のフエデ・サンタである。
イタリア・ルネサンスのオカルト哲学者、マルシリオ・フィチ-ノ[Marsilio Ficino, 1433-99]はフィレンツェのコジモ・デ・メディチ一族の中で育った。
フィチ-ノはヘルメス文書のギリシア語写本をラテン語に翻訳した。
ヘルメス文書の著者とされるヘルメス・トリスメギストス[Hermes Trismegistus]は、エジプトの神トトとギリシアの神ヘルメスを融合した神話的人物で、その名は「3重に偉大なるヘルメス」を意味する。
これはフェニキア文字の刻み込まれたエメラルド製の碑板で、アブラハム(あるいはアレクサンダ-大王)の妻サラによって洞窟の墓場の中から発見された。エメラルド碑板はヘルメス・トリスメギストスの死体の指でしっかりと握られていたという。
魔術上の目的で特に重要な箇所は、エメラルド碑板のラテン語版の冒頭の一文である。「上におけるごとく、下もしかり、下のごとく上もしかり、唯一なるもの驚異を達せんがため」これは占星術と錬金術の基礎となる原理で、人類と地上の小宇宙(ミクロコスモス)と、神と天上の大宇宙(マクロコスモス)が照応関係にあることを示している。
フィチ-ノの極めて優秀な弟子、ジョバンニ・ピコ・デラ・ミランドラ[Giovanni Pico della Mirandola, 1463-94]はカバラをグノ-シス主義、ヘルメス主義、新プラトン主義と同化させた。
ピコは、カバラはキリスト教の真理を確定することができる、と信じたのだ。このカバラとはユダヤ神秘主義のことである。
1492年にスペインからユダヤ教徒が追放されると、彼らの多くはイタリアに行き、そこでヘブライ語に対する新しい関心と、ユダヤ教の神秘主義的伝統すなわちカバラに対する熱意とを広めた。ピコの教師がスペインのユダヤ教徒であったことは疑いない。その中で主だったのは、ピコにカバラ的な写本を提供したフラヴィウス・ミトリダ-テス[Flavius Mithridates]という謎の人物だった。
さて、ルネサンスとカバラ魔術の関係が分かると、ルネサンスに対する我々の評価も自ずから変わって来ざるを得ない。
古典文化の復興、人文主義(ヒュ-マニズム)、美術の開花、真理や美の追求、キリスト教と封建制度にしばられた中世世界からの脱却。一般的には、ルネサンスは無条件で称賛されている。ルネサンスを批判すると、野蛮人のように思われてしまうのが落ちだ。しかし筆者に言わせると、ルネサンスの本質、それはずばり「魔術の復活」なのである。魔術結社はルネサンスを隠れ蓑にして、悪魔的陰謀を企んだのだ。
ルネサンスの表看板は自由の賛美である。自由の何処が悪い、人はこう反論するに違いない。言論の自由、表現の自由、報道の自由、好きなことを空想する自由、好きなことをする自由(法律に触れない限り、あるいは法律に違反しても捕まらない限りにおいて)、自由はすばらしい。それはその通りだ。権力者に個人の自由を縛られるのは、誰でも御免被りたいはずだ。ヒトラ-、ムッソリ-ニ、スタ-リン。ロ-マ教皇、ラスト・エンペラ-、天皇ヒロヒト。専制主義の悪玉には事欠かない。しかし本質的には彼らの存在は危険な物ではないのだ。その暴力性があまりにもあからさまで、我々はそれに対して身構えることができるからだ。
しかし、自由、平等、友愛を隠れ蓑にしたファシスト的な階級組織であるフリーメーソンに対しては、我々は完全に無防備だ。自由幻想に酔い、影で邪悪な陰謀が進行していることに気付かない。一例をあげると、選挙がある。ファシズム体制下では自由な投票はありえない。デモクラシ-社会では自由で公正な選挙が保証されている。すばらしい。だが実は、大衆は選挙が公正に行われていると錯覚しているに過ぎないのだ。得票数などは、裏で完璧に操作されていることに気付かない。一抹の疑いを抱くことすらしないのだ。
疑いを知らぬ大衆の心理操作、これこそリアル・ポリティックス、真実の政治力学なのである。その手段は物理的暴力ではなく、詐欺やペテンである。腕力ではなく頭の勝負なのだ。この時代の悪魔との決戦場は物理的次元にはなく、霊的・精神的な次元にあるのだ。目に見える暴力と目に見えない暴力、どちらがより危険かお分かり頂けたと思う。
ルネサンスの魔術師の話を続けよう。黒魔術師の評判の高い、ハインリクス・コルネリウス・アグリッパ[Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim, 1486-1535]は『オカルト哲学について[De occulta philosophia libri tres]』の著者である。
『オカルト哲学について』はフィチ-ノのヘルメス主義的魔術とピコのカバラ主義的魔術を結びつけた集大成である。アグリッパはまたヨハネス・ロイヒリン[Johannes Reuchlin, 1455-1522]のキリスト教カバラにも影響されている。
アグリッパは宇宙を3つの世界、つまり元素世界、天空世界、叡智世界に分けている。彼は「魂の戦車(乗り物)」として、ランタンから漏れる光のように肉体を離れ、あらゆる時空を理解し、不思議な領域を探索し、天球層と精神的階梯を通って原型あるいは神へとのぼりつめるための、星気体の能力についても言及している。アグリッパは、肉体からの星気体(アストラル体)の分離、すなわちアストラル・トリップについて述べているのである。
このアグリッパに影響されたのが、エリザベス朝イングランドの高名な哲学者、数学者、占星術師、魔術師、スパイであったジョン・ディ-[John Dee, 1527-1608 or 9]である。
アグリッパのように、ディ-は宇宙は自然界、天空界、超天空界に分かれていると考える。
アメリカの歴史修正論者であるマイケル・A・ホフマン二世によると、ジョン・ディ-は近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ-であったという。 公の歴史では、近代フリーメーソンは1717年6月24日、聖ヨハネの祝日に、ロンドンにある4つのロッジが合同して創立されたことになっている。しかしこれはフリーメーソンが歴史の暗闇の中から彷彿とその姿を現し、公然とエリ-ト階級をリクル-トし始めた時期であって、そのずっと以前からフリーメーソンが存在していたことはすでに述べた。
筆者はホフマンの「ジョン・ディ-=近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ-説」を採らない。しかし、ディ-がイギリス史に果たした役割は非常に大きいと考えている。そこでジョン・ディ-について簡単に触れておきたい。
ディ-は1527年にロンドンの近くに生まれた。「妖術師」の悪名の高かったディ-は、1553年、カトリック女王メアリのホロスコ-プを作成して、女王の薄命を予言した。この予言が当局の忌憚に触れて叛逆罪に問われ、ディ-はハンプトン・コ-トに投獄されてしまった。ディ-の予言どおり、メアリ女王は短命だった。
1555年、メアリ女王の跡を継いだエリザベス女王は、早くから、ディ-の占ったホロスコ-プで王位につくべき運勢を保証されていた。
女王になったエリザベスはただちにディ-を牢獄から釈放して、王室数学官に任命し、彼女の載冠式の日取りを占わせた。載冠式はディ-の指定する1559年1月14日めでたく行われた。
ディ-は協力者のエドワ-ド・ケリ-[Edward Kelley, 1555-97]
と共に、降霊術で天使を呼び出したと噂されている。魔術師であり優れた数学者でもあったディ-は、『ユ-クリッド』のヘンリ-・ビリングズリ-の英訳に寄せた序文にこう書いている。「数により、知られうるものすべての探究と理解への道が得られる」
ここには科学と官僚性の基礎となる概念が表明されている。これは西洋哲学における重大なパラダイム・シフトであった。
1583年にジョン・ディ-とエドワ-ド・ケリ-はイギリスを後にして、大陸旅行に出発した。大陸で過ごした歳月の間、ディ-はある種の伝道活動をし、そのことでポ-ランドのクラコウそしてプラハへ行った。プラハにいた時にディ-はラビ・レ-ヴ[Judah Loew ben Bezalel, 1525-1609]と接触した。
ボヘミアのプラハはカバラの一大中心地であり、一人の極めて注目すべき魔術師、ラビ・レ-ヴが16世紀後半のプラハで有名であった。彼はオカルト主義者の皇帝ルドルフ2世[Rudolf II, 1552-1612]と記念すべき会見を行ない、その際皇帝は実際にこのユダヤ人に精神的助言を求めている。ユダヤの伝説では、レ-ヴは異教徒抹殺の人造人間「ゴ-レム[golem]」の創造者であるとされている。
エリザベス女王の密命を帯びたディ-はこのプラハで、ラビ・レ-ヴと重大な契約を結んだのだ。その契約とは、イギリスの発展のために国際ユダヤの隠れた支援を取り付けることであった。そのお蔭で、これまではちっぽけな島国に過ぎなかったイギリスが文字通りの大帝国にのし上ることができたのだ。
契約の見返りは、ユダヤ人のイギリスへの再入国であった。1290年にエドワ-ド1世(バノックバ-ンでスコットランド軍と戦ったエドワ-ド2世の父王)はイギリスからユダヤ人をすべて追放していた。ただし隠れユダヤ(キリスト教への改宗者)は別である。その後ユダヤは、エリザベス1世の治世にこっそりとイギリスに再入国することができた。ユダヤ人が公然とイギリスに帰還したのは、クロムウェルの時代になってからであった。
イギリスへの再入国という見返りを約束されて、ユダヤはディ-に協力して大英帝国の基礎を築いた。そして西洋を支配することになるイギリスの秘密結社の育成をはかったのである。
密命を無事に終えた後、ディ-は女王の腹心サ-・フランシス・ウオルシンガム[Sir Francis Walsingham, 1532-90]に宛てて秘密報告を出している。
William Cecil, 1st Baron Burghley by William Faithorne; Queen Elizabeth I; Sir Francis Walsingham
彼は数学者らしく、名前の代わりに数字でサインをした。「007」と。オカルトによる世界の宗教改革、それがディ-の目指したものであった。魔術師ジョン・ディ-こそ、世界史に大きな影響を与えた大英帝国の企画者、女王陛下の秘密エ-ジェント、「007」であったのだ。
途中参照:
アジア秘儀に由来するシオ二ズム
http://satehate.exblog.jp/12515875/
セシル・ローズとロスチャイルド設立の円卓会議の目的は国つぶし by ジョン・コールマン
http://satehate.exblog.jp/11525438/
勝者が歴史の本を書く:無視された英帝国によるホロコースト by David Rothscum
http://satehate.exblog.jp/15354976/
大英帝国がオカルト秘密結社の前進基地であったことが分かった。そこで今度は、過去から未来に目を転じてみよう。オカルト秘密結社の創始者、ジョン・ディ-はイギリスで生まれた。そして新約聖書のヨハネの黙示録に描かれた獣、聖書に予言された反キリストもイギリスに生まれているのである。
これはあくまで筆者の仮説であるとして聞いて欲しい。その反キリストは「ウィリアム」という名前を持っているはずである。ヨハネの黙示録の獣の数字「666」はいくつかの写本には「616」とある。ウィリアム「William」のWを二つのVに分解し、二つのLをIと読む。これを並べ替えると,「I Am VI I VI」となる。ロ-マ数字「VI I VI」はアラビア数字で「616」のことである。
この「ウィリアム」という名前を持つ超有名人がイギリスにいる。チャ-ルズ皇太子と故ダイアナ妃の長男、未来の英国王ウィリアム王子である。
ウィリアム王子が即位すると、彼はウィリアム5世となる。 「William V」を並べ替えると、「I Am VI VI VI」となり、ここに獣の数字「666」が出現するのである。
チャ-ルズ皇太子とダイアナ妃の変態セックス(セックス・マジック)の賜物、ウィリアム王子は1982年の夏至の日、6月21日に誕生している。夏至とは、一年で一番日が長くなる日である(北半球では)。古代密議宗教では太陽は神として崇拝されていた。
フリーメーソンのシンボルは左目と太陽である。黒魔術師アレイスタ-・クロウリ-が夢見た「ム-ン・チャイルド(月の子供すなわちダイアナの子供)」であるウィリアム王子は、未来のイギリスに太陽王として君臨することになるのだ。
反キリストとしては申し分のない血統であろう。
余談になるが、この太陽王ウィリアムの子分とでも言うべき二人の有名人がいる。ウィリアムの愛称はビル(Bill)である。二人の高名なビル、誰あろう、ビル・クリントン合衆国大統領とビル・ゲイツマイクロソフト社会長のことである。
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