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今日の誕生日の花は・・・ レンゲソウ
花言葉は・・・・・・・・・私の苦しみを和らげる 感化
マメ科
マメ科
クリスマスをお祝いする人も
本日は甘茶をお地蔵様に捧げます
「蓮華草」は蓮の華を浮かべる
「紫雲英」はイメージがゆたか
野に出て花座に身を横たえ見む
「蓮華草」は蓮の華を浮かべる
「紫雲英」はイメージがゆたか
野に出て花座に身を横たえ見む
山間の百姓育ちゆえ分校からの下校はかくれんぼ
「もうーいいかい」
「もうぅいいよ」
げんげの咲くところに沈みように体を埋め込むー
作者の言葉
種を蒔いたレンゲ田は、田植え前にレンゲを
そのまま鋤き込んで肥料にします。
山々の間に広がるレンゲ田では
ミツバチが花を求めて飛んでいました。
山峡のレンゲ田ゆけばたたずめば
小さい蜂のいとなみありき 鳥海昭子
山峡のレンゲ田ゆけばたたずめば
小さい蜂のいとなみありき 鳥海昭子
げんげ田へ女がさきに坐りけり 星野麦丘人
死ぬ真似をして紫雲英田に倒れけり 山崎 一生
子山羊にも掛けて蓮華の首飾り 沢 聡
【万葉歌】我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな
(巻15ー3774)
盲目の作曲家、偽ベートーベン佐村河内は、
ベースを死守せずオーバーランの完全にNHKのアウトっ!
権威をひからかしたNHKが特別番組を制作して、世間に向け
お墨付きをあたえたゆえ、ことを、肥大化したものでしたー
以下のこの番組も時間経過を間違えれば
同じ運命を辿っていたんでしょうモンー
あわてて代役、山中伸弥を持ってきたのがミエミエー
「わたしも始めて映像を見るんですよ」言ってたー
NHKスペシャル 人体 ミクロの大冒険
3月29日(土)午後9時00分~9時49分総合
4月5日、6日とシリーズで放映ー
京都大学iPS細胞研究所 山中伸弥所長
劇作家・演出家・役者の野田秀樹
の対談で進行する筋立てでありましたー
これってぇ
本来は「小保方」司会で進めるために
創られたんだろうと、推察していますー
安倍の成長戦略の肝だったんだろうー
英雄を作りたがるのは
カルト政治家のお得、好みの手法ー
あなたの好きな日本人
上位に上がるのはお決まりっ!
ただ、急に現れた歴史人物の謗りはぬぐえないわけでしてェー
紐解きますとこうありますー
明治16年になって高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾が書いた
『汗血千里の駒』という歴史小説が掲載ー
これは坂本龍馬を主人公にしたものー
初めて世間に「坂本龍馬」の名が知れ渡ったというー
事で、結局のところ
でぇ以下の著作では、坂本龍馬が本当に実在したかどうかは、
闇の中という・・・ (^^;
まぁ、今の坂本龍馬の功績やイメージは、
歴史の英雄人つくりの達人司馬遼太郎が著わした
「竜馬がゆく」
「坂本竜馬」は、司馬遼太郎の小説で使われた名ー
ただー史実的には存在してる==
坂本龍馬は、天保6年11月15日、土佐国高知城下で
生まれました。
生まれました。
5人兄弟の末っ子、次男です。
長男の権平の家系が今も継承されており、
長男の権平の家系が今も継承されており、
子孫の方
もお元気です。
変名に「才谷梅太郎」。
推察するに、才谷屋は、郷士坂本家が分家をした、
もお元気です。
変名に「才谷梅太郎」。
推察するに、才谷屋は、郷士坂本家が分家をした、
高知城下の豪商ー
でぇ残された歴史再発見手がかりの
坂本龍馬への姉からの手紙
これは現在一通も残されておりません。
龍馬研究をされる方は、是非見たい
といわれる方も多いハズですが、これは無理でしょう。
現在残されているのは、
といわれる方も多いハズですが、これは無理でしょう。
現在残されているのは、
坂本龍馬が出した手紙です。
現存あるいは記録にとどめたがその後焼失等で失われた
物を合わせて
現存あるいは記録にとどめたがその後焼失等で失われた
物を合わせて
136通(写真116通確認)。
そのうち姉乙女に12通(他に連名4通)、
そのうち姉乙女に12通(他に連名4通)、
日向。霊峰霧島登山・新婚旅行
下関本陣伊藤助太夫宛13通、
長崎の佐々木高行宛12通、
長府藩士三吉慎蔵宛10通、
木戸孝允(桂小五郎)宛10通、
この他に兄権平家族、印藤肇、陸奥宗光、寺田屋お登勢
等がこれに続きます。
いづれ、NHKが番組にするんでしょうー
龍馬関係の話では結構有名ですが、
こういう「実録モノ」的な話が出てきたのには・・
が出てくれば、
それこそ「ものすごく盛り上がる」ってか・・(NHKデレクターニヤリ)
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龍馬直筆の手紙の草稿
見つかったぜよ… 4月7日 19時16分
手紙は縦19・5センチ、横約1メートル。
この中で龍馬は、慶応3年(1867年)10月28日に福井入りし、三岡と新政府の財政などを論じ、
11月5日に帰京したなどと記述。
財務を任せられるのは「三八(三岡)を置かば他に人なかるべし」と進言している。
龍馬は同月15日に暗殺された。
幕末の志士、坂本龍馬が暗殺される直前に土佐藩の重臣、
後藤象二郎宛てに書いたとみられる手紙の草稿が東京都内の民家で保管されていたことが分かりました。
龍馬が新政府で重要な財政担当の適任者を選び出すいきさつが書かれていて、専門家は
龍馬が新政府で重要な財政担当の適任者を選び出すいきさつが書かれていて、専門家は
「全く存在が知られていなかったもので、大変な発見だ」と話しています。
これは、東京都内の男性が30年以上前に骨とう品売り場で購入したのを自宅で保管していたもので、
NHKの番組の取材過程で見つかりました。
複数の専門家が鑑定したところ、筆跡や内容から坂本龍馬の直筆とみて間違いないと判断しました。
複数の専門家が鑑定したところ、筆跡や内容から坂本龍馬の直筆とみて間違いないと判断しました。
鑑定によりますと、龍馬が慶応3年、1867年の11月15日に京都で暗殺される1週間ほど前に土佐藩の重臣、後藤象二郎に送った手紙の草稿だということです。
この中で龍馬は、江戸幕府が朝廷に政権を返上する「大政奉還」の直後、新政府の財政担当の候補だった福井藩の藩士、三岡八郎に会いに行き、後藤にその結果を報告しています。
三岡八郎は、福井藩の財政再建で手腕を振るった人物で、後に由利公正と名を改め、
三岡八郎は、福井藩の財政再建で手腕を振るった人物で、後に由利公正と名を改め、
五箇条の御誓文の起草者としても知られ、
明治新政府では初期のころに金融や財政に携わりました。
手紙の草稿の中で、三岡が江戸幕府の帳面を調べた結果、幕府の財政政策が旧態依然として「気の毒」だと評していたことが書かれています。
そのうえで、龍馬は新政府の財政を任せられるのは三岡をおいてほかにはいないと後藤象二郎に進言しています。
「大政奉還」の直後に、龍馬が三岡と面会したという記録は残っていましたが、龍馬がそのいきさつを書いたとみられる手紙の草稿が見つかったのは初めてです。
鑑定者の1人、京都国立博物館の宮川禎一企画室長は「これまで全く存在が知られていなかったもので、大変な発見だ。
手紙の草稿の中で、三岡が江戸幕府の帳面を調べた結果、幕府の財政政策が旧態依然として「気の毒」だと評していたことが書かれています。
そのうえで、龍馬は新政府の財政を任せられるのは三岡をおいてほかにはいないと後藤象二郎に進言しています。
「大政奉還」の直後に、龍馬が三岡と面会したという記録は残っていましたが、龍馬がそのいきさつを書いたとみられる手紙の草稿が見つかったのは初めてです。
鑑定者の1人、京都国立博物館の宮川禎一企画室長は「これまで全く存在が知られていなかったもので、大変な発見だ。
新政府を作るにあたって、財政の重要性を理解していた龍馬の思想や考えを知るうえでも貴重な資料だ」と話しています。
.
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手紙には生々しいやり取りも
今回発見された手紙の草稿は、江戸幕府が朝廷に政権を返上する「大政奉還」が成立したあとに、坂本龍馬が新政府の財政運営をどうするか、構想を練っていたことを裏付けるものとして、専門家が注目しています。
慶応3年10月15日(1868年11月10日)、土佐藩の建白書に基づき、大政奉還が実現すると、龍馬は土佐藩の重臣、後藤象二郎の命を受け、北陸の福井藩に向かいました。
新政府の財政担当者として、福井藩の財政再建で活躍した三岡八郎、後の由利公正と会うためです。
このとき、三岡は福井藩内部の対立に巻き込まれ、謹慎処分を受けていたので、面会するためには主君である福井藩主・松平春嶽の許しが必要でした。
龍馬は松平春嶽とは面識があり、三岡とも親しかったため、使者として選ばれ、急いで福井藩を訪れたのです。
手紙の草稿によりますと、龍馬は松平春嶽には面会することはできなかったものの、藩士の立ち会いのもと、三岡八郎と会うことができ、三岡が「私は悪党なので、番人が一緒に来ました」と冗談を言うと、立会人もそれを聞いて笑ったというエピソードが書かれています。
龍馬と三岡はその場で政治情勢について話し合ったということで、手紙には松平春嶽が江戸幕府の「政事総裁職」という要職にあったときに、部下の三岡が幕府の財政について帳面を基に調べたと書かれています。
三岡は藩札という紙幣を独自に発行するなどして福井藩の財政再建に腕を振るったことで知られていて、手紙の草稿の中で、三岡が江戸幕府の帳面を調べた結果、幕府の財政政策が旧態依然として「気の毒」だと評していたことが書かれています。
この手紙の草稿は、文面にある日付から龍馬が福井から京都に帰った11月5日以降に書かれたものとみられ、手紙の最後で、龍馬は新政府の財政を任せられる人材は三岡をおいてほかにはいないと、後藤象二郎に進言しています。
龍馬はその直後、11月15日に暗殺されましたが、三岡八郎は新政府最初の紙幣、「太政官札」の発行や、現在の国債に当たる「会計基立金(もとだてきん)」の募集などの財政政策に携わりました。こうしたいきさつは、三岡の回顧談にも記されていますが、今回、会談の直後に龍馬がしたためた生々しいやり取りが初めて見つかり、今後の龍馬研究にも役立つと注目されています。
慶応3年10月15日(1868年11月10日)、土佐藩の建白書に基づき、大政奉還が実現すると、龍馬は土佐藩の重臣、後藤象二郎の命を受け、北陸の福井藩に向かいました。
新政府の財政担当者として、福井藩の財政再建で活躍した三岡八郎、後の由利公正と会うためです。
このとき、三岡は福井藩内部の対立に巻き込まれ、謹慎処分を受けていたので、面会するためには主君である福井藩主・松平春嶽の許しが必要でした。
龍馬は松平春嶽とは面識があり、三岡とも親しかったため、使者として選ばれ、急いで福井藩を訪れたのです。
手紙の草稿によりますと、龍馬は松平春嶽には面会することはできなかったものの、藩士の立ち会いのもと、三岡八郎と会うことができ、三岡が「私は悪党なので、番人が一緒に来ました」と冗談を言うと、立会人もそれを聞いて笑ったというエピソードが書かれています。
龍馬と三岡はその場で政治情勢について話し合ったということで、手紙には松平春嶽が江戸幕府の「政事総裁職」という要職にあったときに、部下の三岡が幕府の財政について帳面を基に調べたと書かれています。
三岡は藩札という紙幣を独自に発行するなどして福井藩の財政再建に腕を振るったことで知られていて、手紙の草稿の中で、三岡が江戸幕府の帳面を調べた結果、幕府の財政政策が旧態依然として「気の毒」だと評していたことが書かれています。
この手紙の草稿は、文面にある日付から龍馬が福井から京都に帰った11月5日以降に書かれたものとみられ、手紙の最後で、龍馬は新政府の財政を任せられる人材は三岡をおいてほかにはいないと、後藤象二郎に進言しています。
龍馬はその直後、11月15日に暗殺されましたが、三岡八郎は新政府最初の紙幣、「太政官札」の発行や、現在の国債に当たる「会計基立金(もとだてきん)」の募集などの財政政策に携わりました。こうしたいきさつは、三岡の回顧談にも記されていますが、今回、会談の直後に龍馬がしたためた生々しいやり取りが初めて見つかり、今後の龍馬研究にも役立つと注目されています。
「龍馬の直筆」決め手は独特の筆跡
見つかった手紙の草稿が龍馬の直筆であると鑑定された決め手の1つとされたのが、龍馬独特の筆跡です。
例えば、京都国立博物館に所蔵されている龍馬が妻の「おりょう」に宛てた手紙の筆跡と比較すると、「後藤」、「此」などの文字の書き方の癖が一致しているということです。
また、書かれていた龍馬の実名「直柔」(なおなり)の署名も、龍馬が新政府の政治綱領を書き記した書、「新政府綱領八策」などに書かれた署名と一致しているということです。
また、龍馬は手紙を書く際、紙の上下にあまり余白を作らず、上から下まで使いきるように文字を書く癖があり、今回見つかったものもこの癖がよく現れていました。さらに、書かれていた内容の具体性も判断の決め手とされました。龍馬の手紙として発見されるものには偽物もありますが、こうした偽物は内容を「例の件」などとぼかし、ごく短い手紙の一部を装ったものが多いということです。
しかし、今回は龍馬と三岡八郎の具体的なやり取りが生々しくつづられ、偽造したものとは考えにくいということです。
龍馬に関する歴史資料の研究に詳しい京都国立博物館の宮川禎一企画室長は、「文字は第一印象で龍馬に間違いないと思いました。細部を比べても問題ありませんし、全体の印象から見ても龍馬の真筆であることは疑いようがないものです」と話しています。(NHKより抜ー)
例えば、京都国立博物館に所蔵されている龍馬が妻の「おりょう」に宛てた手紙の筆跡と比較すると、「後藤」、「此」などの文字の書き方の癖が一致しているということです。
また、書かれていた龍馬の実名「直柔」(なおなり)の署名も、龍馬が新政府の政治綱領を書き記した書、「新政府綱領八策」などに書かれた署名と一致しているということです。
また、龍馬は手紙を書く際、紙の上下にあまり余白を作らず、上から下まで使いきるように文字を書く癖があり、今回見つかったものもこの癖がよく現れていました。さらに、書かれていた内容の具体性も判断の決め手とされました。龍馬の手紙として発見されるものには偽物もありますが、こうした偽物は内容を「例の件」などとぼかし、ごく短い手紙の一部を装ったものが多いということです。
しかし、今回は龍馬と三岡八郎の具体的なやり取りが生々しくつづられ、偽造したものとは考えにくいということです。
龍馬に関する歴史資料の研究に詳しい京都国立博物館の宮川禎一企画室長は、「文字は第一印象で龍馬に間違いないと思いました。細部を比べても問題ありませんし、全体の印象から見ても龍馬の真筆であることは疑いようがないものです」と話しています。(NHKより抜ー)
驚きの鑑定額にスタジオが騒然!!
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番組取材中に出合った世紀の大発見“坂本龍馬の直筆の手紙”に驚く「突撃 アッとホーム」の出演者たち |
NHK総合で毎週土曜日に放送されているバラエティー「突撃 アッとホーム」の取材中、世紀の大発見となる坂本龍馬直筆の手紙“越行の記”が見つかったことが明らかになった。この手紙の発見の様子と驚きの鑑定額は、4月12日(土)放送分の番組内で独占公開される。
【写真】発見された坂本龍馬最後の手紙“越行の記”
今回見つかった坂本竜馬の手紙“越行の記”は約150年前、1867年に龍馬が殺された10日以内に書かれたもので、歴史的に非常に重要性が高い。内容は「大政奉還後の日本国新政府の財政計画・人材構想」について書かれており、福井にいた三岡八郎(後の由利公正)を強く推挙することが記されている。
今回の発見は、家族との思い出がつまった宝物を見せてもらう「ファミリートレジャーハンティング」という企画の取材中、東京・国立の一般家庭で偶然見つかったもの。街頭インタビューした主婦から「父が古美術商から“坂本龍馬直筆の手紙”を買った」という話を聞いたことから、自宅のちゃぶ台の下に保管されていたものを見せてもらい、発覚することとなった。
これほどの歴史的資産が現代まで埋もれていた経緯と、龍馬が思い描いた新政府の財政構想、さらに当時1000円で古美術商から購入したというお宝の驚きの鑑定額は、4月12日(土)の番組内で発表される。また、番組では坂本龍馬の大ファンである武田鉄矢がゲストとして出演し、龍馬への熱い思いを語る。
“越行の記”を所有していた主婦は、収録後「20、30年前に父が購入した手紙がまさか本物だと思ってもみなかった。父が“龍馬直筆”だと言っていたことに半信半疑だったが、見る目があったことがわかったし、鑑定額には本当に驚いた」と喜びのコメントをした。
【写真】発見された坂本龍馬最後の手紙“越行の記”
今回見つかった坂本竜馬の手紙“越行の記”は約150年前、1867年に龍馬が殺された10日以内に書かれたもので、歴史的に非常に重要性が高い。内容は「大政奉還後の日本国新政府の財政計画・人材構想」について書かれており、福井にいた三岡八郎(後の由利公正)を強く推挙することが記されている。
今回の発見は、家族との思い出がつまった宝物を見せてもらう「ファミリートレジャーハンティング」という企画の取材中、東京・国立の一般家庭で偶然見つかったもの。街頭インタビューした主婦から「父が古美術商から“坂本龍馬直筆の手紙”を買った」という話を聞いたことから、自宅のちゃぶ台の下に保管されていたものを見せてもらい、発覚することとなった。
これほどの歴史的資産が現代まで埋もれていた経緯と、龍馬が思い描いた新政府の財政構想、さらに当時1000円で古美術商から購入したというお宝の驚きの鑑定額は、4月12日(土)の番組内で発表される。また、番組では坂本龍馬の大ファンである武田鉄矢がゲストとして出演し、龍馬への熱い思いを語る。
“越行の記”を所有していた主婦は、収録後「20、30年前に父が購入した手紙がまさか本物だと思ってもみなかった。父が“龍馬直筆”だと言っていたことに半信半疑だったが、見る目があったことがわかったし、鑑定額には本当に驚いた」と喜びのコメントをした。
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坂本龍馬 軌跡 参考資料3 慶応3年
それより
NHKにお願いがあります
以下お得意のnhk記録報道
当人のドキュメンタリーを流してほしいー
「原子力協定」衆院の可決で、原発をトルコUAEへ輸出するー
国や福島県知事は絶対に認めないが、
毎日の如くガンや突然死で死ぬ日本人が増え続けているのは、明らかに放射能汚染による結果っー。
死因について物的証拠は示すことは出来ないが
状況証拠的には100%ー。
原発事故を引き起こした当事国が、そんな殺人モンスターである原発を輸出する発想をすること自体がモラルの欠如っ!。
つーか、政府与党の連中は鬼畜にも劣るっ!。
与党賛成議員は自分の息子や孫を
福島原30Km以内に居住させてから賛成しろ!
ジュリーこと沢田研二がまたまたガっン!
新曲「一握り人の罪」で、金に良心を売った東電と心の貧しい連中を痛烈に批判している。
参院選で原発ゼロの山本太郎の応援演説を買って出て、
今度は自分の新曲で原発廃止っ!
ジュリーは偉い、
本物だ!
あの和田アキ子が唯一頭が上がらないのが
理解できるわ?
欲を言うとオリンピック辞退と、更には名指しで
安倍のバカぶりとモラルの低さも歌って欲しかったわねー
一握り人の罪
沢田研二
沢田研二
東電も信じた 受け入れ側も信じた
安全神話鵜呑みに 一握り人の罪
海が命の漁師は 海が死ぬのを怖れた
村はいびつに裂かれた 一握り人の罪
嗚呼無情
いつか原発廃炉に 除染は何年先
東電は未来型エネルギーに無関心か
国もただこまぬくだけ 被災地に 僕たちに
復興延々と進まず 国は荒むよ
僕らに還して国を
原発に乞われた町
神話を流したのは誰 一握り人の罪
原発に怯える町 原発に狂った未来
繰り返すまい明日に 一握り人の罪
嗚呼無情
.沢田研二/一握り人の罪 .
オリンピック委員になってニコニコの秋元康は爪の垢でも飲めってんだよ。ったく!
怒りで支離滅裂ー
日本放送協会は14日、2014年4月からの消費税の8%への税率引き上げに伴い、消費税率の引き上げを転嫁した新受信料を発表した。
NHKが年金積み立て不足2640億円を受信料で補填していること、
地上契約の1カ月の新受信料は
1,310円(従来は1,275円)、
衛星契約は2,280円(同2,220円)。
元NHK職員の立花孝志
、「実際の受信料支払率は50%にすぎないこと」
を暴露していました。
50%というのは納得のいく数字。
受信料不払いの人は1000万〜2000万いるにもかかわらず、
いま300人の方々がNHKから受信料などの不払いに対する強制執行を裁判所に申し立てられ、スケープゴートにされています
NHKが年金積み立て不足2640億円を受信料で補填していること、
循環型の天下りで、NHK職員が退職金を数回もらっている事こと、
平成26年2月25日衆議院総務委員会で、
みんなの党の佐藤正夫議員が厳しく追及しました。
8年ぶりの野党の6党が反対したNHK予算案。
反対の理由は正当なものだ。
野党の反対を自公与党が数の力で押し切った
NHKの2014年度予算案。
籾井会長は胸をなで下ろしたに違いないが、
水面下で、悪夢のような事態が進んでいる。
昨年度上半期の契約総数は過去最高の3848万件に達したが、今年1月の籾井会長就任以来、
ものすごい勢いで不払いが増えているというのだ。
NHKに詳しいジャーナリストの小田桐誠がこう言う。
「10年前の番組制作費着服事件は、最終的に140万件の不払い騒動に発展しました。
今回は同等か、それ以上になりそうです。
NHKには当時の6倍に達する3万4000件の苦情が寄せられているうえ、契約の取り次ぎや未収回収を担当する営業局の幹部たちからも悲鳴に近い声が聞こえてくる。
<籾井会長の発言はあの椿発言よりもひどい>
と肩を落とす職員もいます」
■100万件突破は確実
椿発言とは、当時テレビ朝日取締役報道局長だった椿貞良が、1993年9月の民放連の放送番組調査会で
「非自民政権が生まれるよう指示した」
などと語った問題。
自民党が「偏向報道だ」と騒ぎ立て、テレ朝は椿氏を解任(その後辞職)することになるが、
「確かに籾井発言はより悪質」と、前出の小田桐誠が言うのだ。
4月中旬までの“不払い件数”が5月に発表される予定です。
籾井会長VS.内部nhk職員の暗闘はまだまだ続く。
NHKを国営にしよう。
「椿氏は民放連という業界の組織で自由闊達な議論を行うための問題提起をしたにすぎません。一方、籾井会長の従軍慰安婦や特定秘密保護法に関する発言は、公式の記者会見でなされたもの。『個人的見解』なんて言い訳はまかり通りません」
NHKは受信契約者が2回続けて支払い拒否すると、「不払い」にカウントする。
今は2カ月ごとの口座振替が一般的なため、はっきりした数字が集計されるのは4カ月ごとになる。籾井会長の就任会見は1月25日だから、5月下旬には「不払い100万件」が明らかになりそうだ。
「NHKに受信料の支払い拒否を伝えたOB職員もいると聞きます。
10年前の騒動では訪問集金のスタッフが粘り強く説得して回り、
最終的に100万人以上が支払いを再開しました。
その訪問集金は6年前になくなり、今回は回復に向けた手だてがない。
10年前以上に深刻だと思います」(小田桐誠)
百田尚樹、長谷川三千子ら経営委員の問題もある。
このまま籾井会長が居座れば、
取り返しがつかないことになるのではないか。
(日刊ゲンダイ2014年4月3日)
4月中旬までの“不払い件数”が5月に発表される予定です。
不払い件数を増やすために、期限までのあと2週間、
籾井会長の大スキャンダルがリークされるかもしれません」
籾井会長VS.内部nhk職員の暗闘はまだまだ続く。
NHKを国営にしよう。
受信料は徴収しない。
犬丸かつこブログ
①国会中継を始終流す
②国会議員の発言を解説する
③憲法の解説を流す(質問もできる)
④新しく法律案を提出するときはその内容の解説と誰が出したかを流す。
⑤行政裁判など政治に係る裁判の様子を放送するなどなど・・・
娯楽的なものはほとん民法に任せる。