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新党憲法9条 <40> 系図作為馬の骨? 安倍クーデター政権!

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今日の誕生日の花は・・ マイヅルソウ
花言葉は・・・・清純な少女の面影
 ユリ科
   葉と葉脈の形が、ツルが羽を広げて飛び立つ姿を思わせるところから、この名前がつきました。               白く明るく一面に咲いている光景は、まるで清純な少女が集まっているようです。 
            
 少女らのおもかげありて舞鶴草
白くさやかに咲きひろがりぬ  鳥海昭子 



以下教えいただきました


『意外に多いクリスチャンの日本国首相』不思議の国ニホン
『自民党政府とマスコミの二人三脚』

米国では、先祖がアイルランド移民出身のジョン・F・ケネディ。。
歴代アメリカ大統領として多数派のプロテスタントではなくて、アメリカの歴史上初めてでかつ唯一の少数派カトリック教徒だったことはアメリカ人にとっては大問題
この事実は無関係な日本人でも知っている---

ところが対照的に我が日本国では最高責任者の首相が何教を信じているか、誰も興味が無い。
アメリカとは大違いで日本国の国民は一切無関心ーー

実は日本の首相は意外にもクリスチャンが多く判明しているだけでも信教の自由が侵害されていた敗戦前でも原敬首相がキリスト教徒。(敗戦以前の日本の首相は30人)

 信教の自由が日本国憲法に明記された敗戦後の首相32人中で、吉田茂、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、細川護熙、麻生太郎、鳩山由紀夫と、キリスト教徒の首相が7人もいるので、ほぼ4人に1人が西欧系キリスト教信者だった。(宗派は不明)

この事実をもっと欧米やアジア・アフリカ・中南米などキリスト教国に宣伝したら、日本を見る目が変わってくると思うが、外務省などまったく無関心である。(価値観の違いで東方正教のロシアを追放したG7ですが、日本を除けば全員がカトリックかプロテスタントの西欧系のキリスト教諸国)

この理由は簡単でニホン国の場合、キリスト教信者の首相とは言え、
厳格な意味では欧米世界の『一神教』では無い。
埋め込み画像への固定リンク
  

 何しろキリスト教信者の筈の麻生太郎首相が靖国神社に参拝して、中国韓国と大騒動を起こしている。
大平正芳も熱心なキリスト教徒だった。
ところが嫌々靖国参拝を行うのですから、日本の場合には江戸時代だけでは無くて明治維新後にも隠れキリシタンの『踏み絵』の伝統が続いている。(我が日本国の『踏み絵』ですが『ガリバーの日本旅行記』に描かれるくらい有名)

 基本的に本物ではなくて何かの擬装行為。現首相の安倍晋三ですが祖父の岸信介も実父の安倍晋太郎も韓国のキリスト教系の破壊的カルト宗教の統一協会(勝共連合)と深い関係にあったし本人自身も統一協会に祝電を送っていた
ところが九州の仏教系のカルト組織とも関係しているらしいから融通無碍で複雑怪奇。

「安倍さーん、またどっかへ行っちゃった」
探すヒントは
1961年、クーデター未遂三無事件で逮捕 最福寺の池口恵観法主清めの水
小泉純一郎祖父自民幹事長入れ墨康二郎は同じ鹿児島出自の鮫島家でぇこの人、鮫島正純

         一人だけ  置いてあるテーブル




『光市母子殺人事件の元少年と、安倍晋三との不思議な共通点』

18歳1ヶ月元少年の『ドラえもん』や『生まれ変わり』は差し戻し審で初めて弁護側から出てくる。
(タレントの橋下徹が弁護士の懲戒請求を呼びかけマスコミの寵児に)
同時期『国民的人気の』の枕詞で安倍晋三が政界のトップに躍り出る。
この二人ですが本物の知恵遅れ。
ドラえもんは弁護士の創作では無くその程度の知能だった。

 母子殺害事件のような未成年の場合、先ず優先されるのが更正の可能性で成長度合いが慎重に審議されるが、少年の生い立ちを一切報道しない。
死刑が確定して初めて少年の境遇がマスコミ語られた。
不登校の理由は『僕が側にいないとお母さんが死んでしまう』だった。
少年と母親は父親からの凄まじい暴力に晒され耐えかねた母親が自殺。
少年は父親から暴力と母親から近親相姦と両方からの虐待を受けていた、
極限状態で自らの精神の成長を止めることで辛うじて生き延びていたらしい。
少年の経歴を読み上げたベテランアナウンサー
感情が高ぶりカメラの前で迂闊にも涙を流したが到底正視できるような成育環境ではない。



 安倍晋三政権や産経読売など右翼マスコミが『朝日新聞の誤報』で『売国』だとか『非国民』だとかの大々的なキャンペーンを展開するが、当たり前ですが自分たちも今まで大量の誤報を行っている。

 朝日バッシングの結果、購読数が劇的に減っているが、朝日を叩いた読売の購読数が朝日以上に減っている。
安倍晋三や右翼マスコミの朝日誤報キャンペーンですが、朝日の信用が落ちた以上に、マスコミ全体の信用度が劇的に低下。





ブログ友、怪訝に聞かれる
安倍にはアンチャンがいる・・・の・・三菱?・・・

調べれば解るのに・・
第一次安倍政権で調べていましたゆえ

そのとき、小生こそ・・不思議でした正直!


そうなんだぁ!馬の骨の無知?
民法903条2項知らぬらしいー

系図いじって改ざんだわーーー
酷いナァあべちゃんの幼児性は!




『Wikipediaの「安倍晋三」の不思議な記述』

 Wikipediaの編集が不思議すぎる。
安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年〈昭和29年〉9月21日 - )・・

 ・・内閣総理大臣を辞職して期間を置いて再登板した事例は、1948年(昭和23年)の吉田茂以来64年ぶりとあるが、日本の主権は日本人(国会)では無くてマッカーサー元帥のGHQが握っていた全面占領下の話である。

 首相を辞任してから再度首相に返り咲いた例は、唯一安倍晋三一人だけ。

しかも自分から下痢で政権を放り出したのですから、現在の安倍晋三の『首相返り咲き』は前代未聞の椿事中の椿事。
Wikipediaの『安倍晋三』の書き込みですが、何故か読者を『明らかな間違い』に誘導するように、意識的に書き込まれている。

 安倍晋三の父親の安倍晋太郎は、跡取り息子の長男に対して安倍寛信と命名する
、これは大政治家だった父方の安倍寛と母方の岸信介の二人から、それぞれ一字ずつ貰ったもの考えれれる。

 晋三も父親から晋の一字貰っているが3人兄弟の次男として生まれているのに、
何故か扱いが『三男』の晋三と命名されている。
(通常の例なら『晋三』では無くて晋冶か晋次、晋二郎である)

 晋太郎の本物の3男(晋三の弟)が生まれて直ぐに子供が出来ない岸家に養子に出されて岸信夫となったことと関連があるのかも知れない。
しかし、このWikipediaの『安倍晋三』の一番の不思議は長男(晋三の兄)の
存在が完全に消されて居ることーーー。

 親族の欄には 佐藤信彦(高祖父)安倍寛(祖父)岸信介(祖父)佐藤榮作(大叔父)安倍晋太郎(父)とあり、
兄弟の欄には岸信夫(弟)の名前しか書いていない。

 以前のWikipediaには辛うじて幼い長兄の写真があった。
ただし何の説明文も無く唐突に掲載されていたので裏事情を知らないと意味が分からない。

ところが、今は完璧に安倍晋三の兄の安部菅信の存在が消されていて、影も形も無くなっている。

 今の安倍晋三首相にとって、余程長兄の『安倍寛信』の存在が都合が悪いのだろう。

 安倍晋三の長兄が消されている原因ですが、別に安倍寛信が幼少期に死んだわけでは無い。
東大を卒業後に日本を代表する兵器メーカーの三菱に就職し執行役員や関連会社の社長を歴任して
現在も健在である。(三菱は日本最大の兵器メイカーであると同時に、東芝やフランスのアレバと並ぶ原子炉プラントの世界三大メーカーの一つでもある)






『安倍晋三と同郷の芥川賞作家田中慎弥の“宰相A”のグロテスクさ』(資料


『安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じたさと危うさ』LITERA

「(賞を)もらっといてやる」──
『共喰い』(集英社)で第146回芥川賞を受賞した際にこんな発言をして注目された作家の田中慎弥。
そんな田中の新作が、いま、話題を呼んでいる。

 というのも、話題の小説の題名は『宰相A』(新潮社)。
タイトルから想像がつくかと思うが、このなかで描かれる“宰相A”のモデルが安倍首相ではないか、
と見られているからだ。

『宰相A』は、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義国家を描いた、いわゆるディストピア小説。
物語は、小説が書けないでいる主人公の作家が電車に乗り、母の墓参りに向かうところから始まるのだが、
作家が辿り着いたのはアングロサクソン系の人間たちが「日本人」だと主張する世界。
──第二次世界大戦後、敗戦国となった日本をアメリカが占領・統治を行い、アメリカ人たちが入植し、日本人は「旧日本人」と呼ばれ、監視された居住区で押さえ込まれるように生活をしている……そんなパラレルワールドのような“もうひとつの”日本を描いている。

 その世界で、旧日本人の反発を封じるために選ばれた首相こそが、旧日本人の「A」である。


  顔立ちといい、態度といい、どう考えても安倍首相を描写したとしか思えないAという人物。
しかし、げに恐ろしいのは、Aが口にする演説内容だ。

「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。
いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。」

 「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。(中略)平和を掻き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」

 
現実の安倍は、ことあるごとに「積極的平和主義」という言葉を持ち出しては日本を交戦国にしようと働きかけるが、宰相Aその未来の姿にも見えてくる。

本来、平和学では、戦争がなく、差別や貧困による暴力のない状態を指し示す「積極的平和主義」という言葉を、いま、安倍首相はアメリカと協調し、軍事的に他国に介入する意味として使用している。現実の安倍首相が言う「積極的平和主義」とは、小説内のAが口にする「戦争主義的世界的平和主義」そのものではないか。

 このように、決して笑えない世界の姿を叩きつける『宰相A』。

 クリックすると新しいウィンドウで開きます
          



作品は文芸評論家からも高い評価を受けているが、一方で読者からは「話題づくりで安倍首相をモデルにしたのでは」という声も上がっている。

 だが、田中が安倍首相を小説のモデルにした理由は、話題づくりではないはずだ。それは、田中は以前より安倍首相に対して関心を寄せ、その強気の姿勢に危惧を表明しているからだ。

 田中が「週刊新潮」(13年1月17日号/新潮社)に寄稿した、『再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝の名は
「安倍晋三」』という原稿がある。題名にある通り、田中は安倍首相の選挙区である山口県下関市に生まれ育ち、現在も在住している。この寄稿文によれば、田中は地元のイベントで、一度、安倍と顔を合わせたことがあるらしく、そのとき安倍は田中に向かって本の感想を述べたのだという。

〈(安倍は)田中さんの本は読んだんですが、難しくてよく分かりませんでした、と言う。私は思わず、読みづらい本ですので、とかなんとか適当に返したように記憶している。(中略)面と向かって、よく分かりませんでした、と言うとは、ずいぶん正直な人だなと思った。怒ったのではない。(中略)作家としてはむしろありがたいくらいだった〉

 だが、田中が気になったのは、安倍の〈うつろ〉さだった。

〈私が顔を見ても安倍氏の方は視線を落として、目を合わせようとしなかった〉〈政治家っぽくない人、向いてない仕事を背負わされている人という印象だった〉

 このときの印象が『宰相A』での描写に通じていることを思わせるが、田中はさらにテレビ越しに見えてくる安倍の性質について洞察。〈いいですか、いま私が喋ってるんですから、などとどうしようもなく子どもっぽい反応を示す〉ことや、〈自分と意見が違うその人物をせせら笑うという不用意な顔〉を見せてしまうことを挙げて、〈これは、ルーツである山口県の政治風土の表れではないかと私は思う〉と述べている。

 しかし、こうした県民性以上に田中が強く指摘するのは、安倍の〈弱さ〉である。

〈相手をせせら笑う不遜と、私と会って目も合わせなかったうつろでオーラのない表情の落差。つまり安倍氏は明らかに、政治家としての自分を強く見せようとしている。強くあろうとしている。なぜか。安倍氏は弱い人間だからだ。強くあろうとするのは弱い証拠だ。だったら、あるがまま生きればいい。弱いことは、人間として決して悪いことではない。だがここで、血筋の問題が出てくる。(中略)祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。誰に対して言えないのか。先祖に対してか。国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。違う。自分自身に対してだ〉

「戦後レジームからの脱却」と称し、安倍首相が憲法改正や自衛隊の国防軍への移行を主張するのは、自民党の意志でもある。だが、ここまで強気に進める理由を田中は〈そういう党の中にいる安倍氏が、偉大で強い家系に生まれた弱い人間だからだ〉と見る。そして、タカ派に分類される安倍を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現するのだ。

〈安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い〉──ここまで田中が憂虞するのは、政治的・軍事的な理由からではない。幼くして父を亡くしたことのせいか、田中は〈男性的でマッチョなものが、根本的に怖い〉のだという。男であることが不潔に感じ、〈何度も死のうとした〉ことさえある。そのときのことを〈死んでみせることで、周囲に強い人間だったと思わせることが出来るのだと、勘違いしたからだろう〉と田中は振り返るが、だからこそ、弱い自分でいることを許されない安倍は危険な状態なのではないか、と田中は案じるのである。

 この田中による指摘は極めて重要だ。安倍首相の強硬姿勢が彼の政治的信条に基づいた行動なのであれば、まだ議論の余地もある。だがそうではなく、安倍自身の血筋というプレッシャーや、本来のパーソナリティである弱さを隠すために過剰に強くあろうとして偉大な祖父が成し得なかった偉業に挑んでいるのであれば、それは暴走だ。しかも、こうした暴走への危惧は、きっと安倍首相には通じないだろう。なぜならそれを受け止めることは、自分の弱さを認めることになるからだ。

 自分の弱さを否定するために、戦争への道をひた走る首相。──『宰相A』で描かれた恐怖は、いま、まさに日本で進行している現実である。
(水井多賀子)2015/3/22 - リテラ







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