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キク科
ノコギリソウの花を前に、葉をさわりながら名前の由来を教えられた幼き日の記憶がよみがえりました 細やかな鋸歯もつその葉にたしかめて ノコギリソウを教わりにけり。 |
すっかりパソコンよくなったのに
調子濃いてぇ
基本機能の履歴の3ヶ月前に
設定しなおし
好事魔多し
それで動かしてうまくいってたので
また元に戻してたら・・・・
作業途中に
アクシゼントでストップ
でぇ使えない
ついに今月2代目まで故障
新しいパソコンを購入
快適パソコンライフ
これでぇ
通常パソコン
環境に帰れた
反省・教訓
ウイルスに
やられたら
素直に従うこと
この1ヶ月の苦悩
なんだったんだろう
贈り物いただきました
ありがたくご査収させていただきました
8月15日戦没者慰霊祭での総理安部
近隣諸国のアジアへの言葉が
歴代総理言葉で始めて削除
で触れなかった
隣国との政治状況にかんがみ念願の靖国参拝さえあきらめたのに
チグハウな行動は
何なんだろう
このひとの歴史認識は
まったく浅はかだ
8月15日24時放映のNHKの「視点・論点」
この解説番組の加藤陽子東大教授
「終戦の日と歴史家の役割」。
「戦争が起こされた本当の原因と、
国家が国民に対して行った説明が異なっていたということ、
この歴史の事実を伝えることが
歴史としての役割にあると考えています」
そして要旨次のように続けた。
すなわち満州事変の計画者・石原莞爾が満州事変を計画した際念頭にあったのは、
ソ連の脅威に対抗するため国境線を北上させるため、
そしてアメリカとの最終戦争の基地とするため、
全満州を占領することだけであった。
しかし、このような真の意図については、
国民の前には決して明らかにされなかったのだ
ーと。
軍や在郷軍人会は、満州事変の前の年、国防思想普及運動というものを全国展開するが、
ある軍人が農民に向かって演説した内容を、
後に満鉄調査部に勤務する石堂清倫が聴き取ったものから再現するとこうだったと。
「諸君は五反歩の土地をもって、息子を中学にやれるか、
日本は土地が狭くて人口が過剰である。
このことを左翼は忘れている。
だから、国内の土地所有制度を根本的に改革することでは改革はできない。
ここでわれわれは、国内から外部へ眼を転じなければならない。
満蒙の沃野を見よ。
〔中略〕
諸君は五反歩ではなしに一躍十町歩の地主になれる。つまり旦那衆になれる」
これが侵略でなくて何だと加藤教授は言っているのだ。
史実をもっと勉強しろ
と安倍総理に言っているー。
歴史家は権力におもねって都合のいい部分だけを語るのではなく、一つでも多くの真実を尾発掘し、
それを国民に提示しろと言っている。
御用学者では決してマネのできない事である。
日本が変わるためには、加藤教授に続く歴史家がどんどんと声をあげて
この国の歴史学会の大勢にならなければいけないということだ。
その先鞭を切った加藤教授は
勇気ある偉い歴史学者である。
隣国との
歴史は長い
15日NHK・BS2
「ぐるっとインドシナ3000キロの絶景船の旅」
[豚肉のクイッティウ。エビも入れてくれた。]
カンボジアを代表する麺料理のひとつ、クイッティウ。米から作られた麺を、あっさりとしたスープでいただく、朝食の定番料理だ。美味しいお店のクイッティウは、のど越しが軽く、スープとの相性も抜群で、正に絶品!自ら進んで麺料理を食べない私でも、この美味しさには病みつきになってしまった。(逆にイマイチなお店のクイッティウは、ゴムみたいな食感で、食べても食べても麺が減らず、箸をにぎったまま泣きたくなってしまう。)
[こちらはカレー味。撮影のために麺を表に出してみた。]
私のお気に入りは、プサー・トゥマイ(セントラル・マーケット)近くのあるお店。場所柄か、少々値段設定が高めだが、麺・スープともに私好みの美味しさで、ついつい足を運んでしまう。ちょっと遅めの時間に行ったら、通常のスープは売り切れとのことで、カレースープのクイッティウを出してくれた。カレーといっても全然辛みのない甘口のスープで、一緒に煮込んである牛肉の柔らかさが、もうたまらなく美味しい!何度もうなずきながら箸を口に運び、あっという間に完食してしまった。
ところでこのクイッティウ。カンボジアに関する日本語書籍では、大抵「カンボジア版の蕎麦」と紹介されている。また、お気に入りのお店の従業員は、片言の日本語で「うどん、うどん」と言っていた。しかし、私に言わせれば、クイッティウとは「素麺の汁麺版」だ。この麺の細さは、正に素麺そのもの。素麺の食感をもう少し軽くしたものが、クイッティウではないだろうか。カンボジアを訪れた際は、どれが一番近いか、是非自身で確認してもらいたい。
ベトナムからカンボジアの「ウドン」という町に入り~
レポーターが道を歩いていると
杵で穀物をついている人がいるので~
見せてもらうと、
米を粉にしているという~
そして、麺を作るというので食べさしてもらうと~
これが日本の「うどん」の語源になったような事を云っていたので驚いた~
(町の名前が「ウドン」だから)
(町の名前が「ウドン」だから)
知っている範囲では、中国とか空海さんかなあと思ってで調べると~^^。
<ウィキペディア>
歴史[編集]うどんの誕生には諸説があり、定かではない。
仁治2年(1241年)に中国から帰国した円爾(聖一国師)は製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたと云われている。また、その円爾が開いた福岡市の承天寺境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている。
奥村彪生によれば、うどんは中国から渡来した切り麦(今の冷や麦)が日本で独自に進化したものであるという。奥村によれば、麵を加熱して付け汁で食する(うどんの)食べ方は中国には無く、日本の平安時代の文献にあるコントンは肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは別であり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるという[2]。
南北朝時代末期の庭訓往来や節用集などに「饂飩」「うとん」の語が現れる。江戸時代は「うどん」と「うんどん」の語が並存し、浮世絵に描かれた看板などに「うんとん」と書いてあることがよくあり、明治初期の辞書である「 言海」は、うどんはうんどんの略とする。
南北朝時代末期の庭訓往来や節用集などに「饂飩」「うとん」の語が現れる。江戸時代は「うどん」と「うんどん」の語が並存し、浮世絵に描かれた看板などに「うんとん」と書いてあることがよくあり、明治初期の辞書である「 言海」は、うどんはうんどんの略とする。
奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した菓餅14種の中にある索餅(さくべい)が、平安時代に完成した『新撰字鏡』 では「牟義縄(むぎなわ)」と呼ばれて、「麦縄(むぎなわ)」が日本の麺類の起源とされる。ただし、麦縄は米と小麦粉を混ぜて作られていた。やがて鎌倉時代になると、円爾など入宋した禅僧らが小麦粉で作る素麺を博多経由で日本に持ち帰って「切麦(きりむぎ)」が誕生した。
室町時代には一条兼良の著書『尺素往来』に、「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)がうどんの前身と考える説もあるが、その太さがうどんより細く、冷やして食されていた事から、冷麦の原型とされている。切麦を温かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じてうどんと呼ばれた[3]。
奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説もある。
平安時代に空海が唐から饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説もある。
青木正児の「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「餛飩」(コントン)と書き、またこれを「餫飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったという。
異国の日常
クイッティウは蕎麦か?うどんか?素麺か?
[豚肉のクイッティウ。エビも入れてくれた。]
カンボジアを代表する麺料理のひとつ、クイッティウ。米から作られた麺を、あっさりとしたスープでいただく、朝食の定番料理だ。美味しいお店のクイッティウは、のど越しが軽く、スープとの相性も抜群で、正に絶品!自ら進んで麺料理を食べない私でも、この美味しさには病みつきになってしまった。(逆にイマイチなお店のクイッティウは、ゴムみたいな食感で、食べても食べても麺が減らず、箸をにぎったまま泣きたくなってしまう。)
[こちらはカレー味。撮影のために麺を表に出してみた。]
私のお気に入りは、プサー・トゥマイ(セントラル・マーケット)近くのあるお店。場所柄か、少々値段設定が高めだが、麺・スープともに私好みの美味しさで、ついつい足を運んでしまう。ちょっと遅めの時間に行ったら、通常のスープは売り切れとのことで、カレースープのクイッティウを出してくれた。カレーといっても全然辛みのない甘口のスープで、一緒に煮込んである牛肉の柔らかさが、もうたまらなく美味しい!何度もうなずきながら箸を口に運び、あっという間に完食してしまった。
ところでこのクイッティウ。カンボジアに関する日本語書籍では、大抵「カンボジア版の蕎麦」と紹介されている。また、お気に入りのお店の従業員は、片言の日本語で「うどん、うどん」と言っていた。しかし、私に言わせれば、クイッティウとは「素麺の汁麺版」だ。この麺の細さは、正に素麺そのもの。素麺の食感をもう少し軽くしたものが、クイッティウではないだろうか。カンボジアを訪れた際は、どれが一番近いか、是非自身で確認してもらいたい。
終戦記念日にあたって
談話 生活の党代表 小沢一郎
「戦後はまだ終わっていない」
小沢代表インタビュー そもそも総研
2013年8月15日
終戦記念日にあたって
2013年8月15日
生活の党代表 小沢一郎
本日、68年目の終戦記念日を迎えるにあたり、先の大戦において犠牲となられた内外のすべての人々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。
我々は、決してあの戦争を忘れてはなりません。しっかりと国民の記憶として、国家存続のための不可欠の歴史的教訓として、刻み込むものでなければなりません。今日の平和と安全は、かつての尊い犠牲の上に成り立っているということを私達は決して忘れてはならないのです。
時として、人々は日々の安逸の中に、一番大切なもの、肝心なものを忘れてしまうことがあります。そして、その時こそ私達は新たなる危機に直面するといえます。記憶の風化や忘却は最終的に国家の破滅をもたらすことになりかねません。
したがって、何より記憶すること、そして、語り継ぐこと、こうしたことの重要性を一人ひとりの国民が、この終戦の日に、改めて考えることが大切であると感じます。そして、全く同じことが、私達がつい最近体験した東日本大震災と福島原発事故についてもいえると思います。
歴史的教訓から何を学び、何を伝え、国づくりにどのように反映させていくのか、いま、政治に問われているのはそういうことであると感じます。
わが党は、このような認識の下、過去のさまざまな歴史的教訓の上に立って、世界の平和と、この国のより良き未来の創造のため、引き続き全力で取り組んで参ることをここにお誓い申し上げます。
小沢代表インタビュー