永田町異聞
ナチス化する安倍政権
安倍晋三は数の力を背景に、民主主義の手続きをもって、現行憲法を無力化しようとしている。
政府が国民の知らぬ間に何でもできる秘密保護法を制定し、解釈変更で戦争のできる国ニッポンを復活させ、国家の安全、国益、公秩序の名のもとに、気に入らぬ国民を処罰する。
これは、ヒトラーが同じく民主主義の手続きを経て全権委任法を制定し、ワイマール憲法を死文化したのと、程度の差こそあれ基本的には同じ方向だ。
「ナチスの手口に学んだらどうかね」という麻生太郎の、意味不明瞭な発言が、その真意はどうであれ、妙に現実味を帯びて感じられる。
ドイツは1918年の革命により帝国から共和国になり、第一次大戦後のベルサイユ体制のもと、人民主権、成人男女の投票権を認めたワイマール憲法による民主主義国家としての道を歩み始めた。
しかし、民主主義は、しばしば国民の不満が噴出し政情不安を呼び起こす。連合軍がドイツに過酷な損害賠償、領土削減を押しつけたベルサイユ条約への反発、恨みの感情は、偏狭なナショナリズムの土壌となった。
1929年からの世界恐慌はドイツ国民の生活を直撃し、心理的不安は極限に達する。そこに、ベルサイユ条約を甘受した与党「社会民主党」を敵視し、攻撃して、国民の共感を呼び、またたくまに勢力を拡大したのがヒトラーのナチ党であった。
1932年7月の選挙で第一党に躍進したナチ党は、翌33年1月にヒトラー内閣を樹立、独裁体制に移行するため、「民族および国家の危難を除去する」との名目で、いわゆる全権委任法を提出した。
立法権を議会から政府に移し、政府の制定した法律は憲法に違反してもいいというとんでもない内容の法案だったが、3分の2以上の賛成が必要という条件をクリアして成立させた。
反対の姿勢を示していた共産党と社会民主党のうち、共産党議員の大多数が逮捕、あるいは監禁されていて、成立阻止の反対票が足りなかった。ワイマール憲法は完全に死文化した。
その後、ナチス・ドイツが何をし、どのような運命をたどったかは周知のとおりだ。権力者が大衆を従わせ、秩序を守るのに、法律という武器を使うのは古今東西変らない。
長い年月にわたり、一族から何代も権力者を送り出している安倍や麻生らにしてみれば、頭の中の最優先事項は、名門を自認するそれぞれのファミリーの未来永劫にわたる繁栄であり、そのためにすでに家財、身分のたぐいとなっている政治的地位を後代に維持継承させることである。
その目的は、明治以来、彼らの父祖が他の利権と結んで築いた既得権構造のなかでこそ達せられる。
この構造を温存するのに邪魔なものは、真の意味における民主主義であり、言論や表現の自由なのであろう。
「一般大衆」をいかにしてコントロールするか。伝統的権力を守ろうとする彼らの関心の大半はそこにある。米国特権勢力と結ぶのも、財界の金の力や、官界の悪知恵に頼るのも、自らの権力を維持拡大するための方策に過ぎない。
ミシェル・フーコーは権力者がのぞむ社会形態を説明するのに、ベンサムの「パノプティコン」という監獄の構想を取り上げた。
円形建造物の真ん中にある監視塔を中心に無数の独房が円状に配置され、監視される囚人は権力に規律化され、従順になっていく。
権力サイドの視点しかない安倍や麻生のような人物にとって、われわれ一般市民は、「迷える群れ」にすぎず、本当のことを知らせる必要はないのである。
われわれは、戦前のように、国家の囚人にならないようにしなければならない。そのためには、監視されるのではなく、権力を監視する心構えをつねに持ち続ける必要がある。