JIJIcom
全米が成長見守った「王女」=キャロライン・ケネディ氏-新駐日大使
今年の米大リーグ・ワールドシリーズを制したレッドソックスの主催試合で地元ボストンのファンが一斉に口ずさむ歌がある。
「スイート・キャロライン」。
モデルとなったのは駐日大使として15日に赴任するキャロライン・ケネディ。
父ジョン・F・ケネディの大統領在任中、ホワイトハウスの庭で愛馬にまたがる幼少期のケネディの写真はしばしばメディアを飾った。
愛くるしい笑顔に心を動かされた歌手ニール・ダイヤモンドがこの歌を作った。
大ヒットし、ケネディ家ゆかりのボストンにとどまらず全米で知られる。
6歳になる直前、父が凶弾に倒れた。
葬儀で母ジャクリーンの傍らに寄り添っていた悲劇のヒロインの成長は、米国民に見守られてきた。
名門大への進学、結婚、最終的に辞退した政界進出の意思表明はその都度、大きく報じられた。
王室のない米国で、大統領や上下両院議員を輩出したケネディ家は「ロイヤル・ファミリー」に例えられる。
ケネディはさしずめ「王女」。
大使起用の人事案を審議する上院の公聴会では、
居並ぶ議員が質問らしい質問を発せず、
助言と激励に終始した。
米国の「王女」は、父が訪問を果たせなかった日本への思いを秘めて育った。
20歳の広島訪問に続き、新婚旅行で奈良と京都を訪れた。
外交筋によると、
オバマ大統領がケネディに提示した大使ポストは日本とオーストラリア。迷わず「トーキョー」と答えたという。
(ワシントン時事)(2013/11/13-16:33
誠ブログ
米国の「ロイヤルファミリー」の一員であり、JFKの子供として最後に残ったキャロラインを、
オバマが特別視していることは紛れもない事実だ.
JFKが暗殺された当時、ケネディ政権は現職大統領として史上初となる日本訪問を計画していた
(JFKは下院議員時代の1951年にロバートと一緒に日本を訪れている)。
さらには
第二次大戦で直接戦った日本の元軍人との友好的な面会も望んでいた。
日米関係の重要性をJFKはしっかりと認識し、自らがその地に降り立って日米の歴史に自らの名を刻むことを望んでいた。
キャロラインはケネディ家の栄光を残すことにこれまでも力を入れてきた。
ジョン・F・ケネディ大統領図書館の館長を務め、
ケネディ家の家族に関する著書も出版している。
最後に残ったJFKの子供として、ケネディ家の番人であると自覚しているとの評判だ。
そして、JFKの果たせなかった日本訪問を果たすことになるのだ。
因縁というか、
運命というべきか。
ケネディ家にはこういうドラマチックな話がつきものだ。
400億円の資産を持つ庶民派のキャロライン
そんなケネディ家の血を受け継ぐキャロラインだが、
素顔は実は庶民派だ。
4億ドル(約400億円)といわれる資産を誇るにも関わらず、移動は地下鉄を使うことも少なくない。
本の取材などでは移動の飛行機も自分で座席予約をして、エコノミークラスで移動、お抱え運転手もいない。
ニューヨークの中心部にある自宅で立食スタイルのホームパーティを開くことも多いが、
美術館デザイナーである夫が手料理を振る舞うという。スピーチなどでよく使う言葉は
、
「私たちそれぞれが変化を起こせる。
みな挑戦することよ」
だ。
家庭では、3人の子供がいる。
JMM(村上龍)
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_3121.html
USAレポート / 冷泉 彰彦
USAレポート / 冷泉 彰彦
まず日本に対しては「ケネディ家から大使が来た」という形で話題を提供する中で、当面の日米関係の「潤滑油」的な効果は期待できると思います。
もう一つ大切なのは、
ダボス会議の主催団体の調査結果では、日本は「男女平等ランク」で調査対象の135カ国中101位というひどい数字になっているという点です。
ケネディの派遣によりこの問題に関して「事態を深刻に受け止めて改革に進むべき」という強いメッセージを送ると共に、この問題をケネディの大使としての主要なテーマとして対日本外交を進めるべき、という声がワシントンでも、ニューヨークでも出ています。
私はガイアツというのは基本的に好きではありませんが、日本にとって最大の、そして大変に困難な課題であるこの「男女平等」の問題に関しては、手段を選ぶ段階は過ぎているようにも思います。
ケネディがこの問題で活躍してくれるのであれば、それに期待するしかないと考えるのです。
いずれにしても、アメリカでは既にこうした観点が「人選の根拠」として言われ出しているということは重要と思われます。
更に言えば、ケネディという名前は
「第二次大戦の英雄」であり、
戦後のアメリカの民主党のカルチャーを代表する存在です。そのケネディ家から大使が行くということは、安倍政権に対して「周辺国との関係を悪化させるような歴史認識の見直し」には「消極的であれ」という強いメッセージになるということも言えるでしょう。
ただ、少し気になる点があります。
というのは、ケネディは「政治的駆け引き」ということでは、ほとんど経験がないのです。
弁護士であり、政治活動家、あるいは著述家であるのは事実ですが、
いずれも「ケネディ家の栄光」の中で、過度の脚光を浴びることは避けながらの活動です。
その話し方も、知的でチャーミングとは言えるのですが、政治的に利害が錯綜する中での成熟したレトリックの使い手というのとは程遠い印象です。
事実、過去にも「率直過ぎる発言」で色々なトラブルに巻き込まれています。
それも「内輪だと思って偽悪的なリップサービスをしてしまい、それが漏れて失敗した」という種類の「失言」ではなく「周囲の文脈を全て整理しないで正しいことを正しいとポンと言ってしまった」という類のものです。
勿論、頭の良い人なので周囲が補佐すれば問題はないのだと思います。ですが、仮に沖縄問題であるとか、歴史認識などの問題で「事態を十分にハンドリングできない」場合に「ポロッと」何かを言ってしまうとか、あるいは自身でストレスを抱えてしまうというような危険性はあるかもしれません。